渡辺 綱(わたなべ の つな[注 1])は、平安時代中期の武将。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。渡辺氏の祖。また、「三田綱町(港区三田2丁目にあった町名)」の由来としても知られる。 略歴[編集] 「茨鬼 戻橋綱逢変化」、歌川国貞作(1815年頃)、ボストン美術館蔵 「四天王剿盗異録」、1806年の曲亭馬琴作と歌川豊国画の読本の中の渡辺綱、源頼光、卜部季武、藤原保昌によるうわばみ退治の様子 武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛(箕田充)の遺腹の子として武蔵国足立郡箕田村[注 2]に生まれる。彼が生まれたときに、すでに父が他界したために清和源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺[注 3]に移住し、渡辺綱(わたなべ の つな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべ の げん
![渡辺綱 - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3924872b7106b71010cf12f11215369eee4a10c3/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2F6%2F65%2FKuniyoshi_Imperial_Bodyguard_Fighting_with_a_Demon.jpg)