勝矢 寿延(かつや としのぶ、1961年9月2日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。元サッカー日本代表。元フットサル日本代表。 島原商業高校時代は全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。大阪商業大学を経て、本田技研工業に入社。センターバックとして活躍すると、1985年に開催された1986 FIFAワールドカップ・アジア予選、香港戦でAマッチ初出場[1]。アジア地区最終予選の韓国戦の第2戦にも出場したが、0-1と破れ[2]ワールドカップ出場はならなかった。1987年にはソウル五輪のアジア地区最終予選まで進出したが、最終戦で中国に敗れ敗退。以降は代表を遠ざかったが、1991年に日産自動車へ移籍し存在感を発揮すると、新たに代表監督に就任したハンス・オフトによって代表に復帰。1992年のキリンカップ、アルゼンチン戦で約5年振りにAマッチ出場を果たし[1]