2016年2月3日のブックマーク (4件)

  • 「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの居場所が必要だ、と言われる。それを否定する人はあまりいない。 学校があって家庭があるだけではまだ足りないから、求められる。求めているのが子ども自身なのかどうかは、よくわからない。「僕に居場所を」と訴える子どもはあまりいないからだ。必要性を言うのは大人である。もちろん根拠がないはずはなく、少しばかり見聞きした成功体験も背景にあるのだろう。 居場所を作りたい、という大人たちの希望にどんな風が吹いているかと言えば、ずっと追い風だと思う。学校教育でも生涯学習でも地域福祉でも子どもの貧困支援でも「居場所」やそれに類するものがバックアップされるような施策がある。既存の社会資源やネットワークの中で解決されていない問題があるとき、新たな「居場所」は魔法の箱として期待を集めていく。トップダウンかつ縦割り行政の中でそれぞれ中途半端につけられた「居場所」関連予算は、何ら新奇性を示せることなく、既存事

    「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい
    mocchi_rie
    mocchi_rie 2016/02/03
    私自身、高校生の頃は保健室、相談室、好きな先生の準備室が逃げ場だったよ。家に居場所がなかった私には門戸を開いていてくれるくらいの気軽さでも有難かった。
  • おこづかい制を導入して7年目になりました〜長男4才・次男2才から始めたおこづかい制について〜 - がんばるブラザーズ

    うちの子供たちはおこづかいをもらうようになって7年目のベテラン。 古いはてダのデータがどこにあるのか見つからなかったので、momentoに残してあるTwitterアーカイブを確認してみたら、開始したのは2009年となっていました。 2009年というと、長男が4才、次男が2才。 ちっさ! 最初はごくごく少額からはじめました*1。確か週に200円とかそんな感じだったと思う。きっかけは、子供たちを連れて買い物に行くたびに「お菓子かってー」とか、当時はまっていたポケモンの指人形つき玩(ポケモンキッズだっけ?)を「新しいのでてるからほしいー」とねだられるようになったこと。 当時、それらを買ってあげる・買ってあげないの判断は、夫やわたしの気分、それから「こないだ買ってあげたばっかりだし、今日はダメ」みたいなどんぶり勘定的感覚に大きく左右されていました。子供たちはそういう曖昧さを鋭くついてきます。そ

  • 笑顔で対応が余裕すぎて泣いた

    笑顔で人と接すると幸せになるんだって! そんなバカな! 最近の我が家は色々と冷えきってて、もうそれどころの問題じゃないけどね。 でも、なんとなく自分だけでも楽になりたいと思って、ちょっと実践してみたよ。 いつも→家に帰ってただいまを言う。おかえりのかわりに子供を叱りつける嫁の声が響く。 昨日→いつもどおり叱りつける声が響くが、そこにニコニコ笑顔で入っていき、その顔のまま子供をたしなめる。 いつも→おかえりが返ってこない嫁にちょいキレでもう一度「ただいま」を言う。するとめんどくさそうに「はいはい。」と返ってくる。 昨日→ニコニコ笑顔で「ただいま!寒かったー!」という。嫁から「ほんとだよ。朝から最悪!」と返ってくる。 いつも→また愚痴が始まったと嫁の言葉は聞き流しつつ、子供をこれ以上嫁を怒らせないようにたしなめる。 昨日→ニコニコ笑顔で「まじか!こんな寒い中大変だったんじゃない?」といいながら

    笑顔で対応が余裕すぎて泣いた
    mocchi_rie
    mocchi_rie 2016/02/03
    張り付くほどの仮面にならなければ、愛想がよくて損することはあまりないよね。笑顔の相手につっけんどんに接するのは良心が痛むもの。つられて柔らかくなる。
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