こんな天才がいるんだったら画家なんて到底無理! ――武蔵野美術大学短期大学部卒。具体的に、美術系への道を意識し始めた時期はいつですか? 柴田 美大を意識し始めたのは高校生の頃です。母はスンナリ賛成してくれたのですが、父が変わり者で。父は長崎の大学病院に勤務する脳外科医で、研究や論文の忙しさを理由に、子育てはからっきし。私が生まれた直後も家族を置いて、NASAのアポロ計画の医学チームに参加するためにいきなり渡米したくらいです(笑)。 高2の時に美大受験予備校の講習会費と旅費も「自分で稼げ」と言われて、父の病院の実験動物の世話係としてバイトすることになりました。生き物を扱う仕事なので、クリスマスも正月もまったく休みがありませんでしたね。 ――なんでそんな大変な仕事を……? 柴田 大変な仕事を与えたら、美大をあきらめると思ったんじゃないでしょうか(笑)。しんどかったですが、なんとかお金を貯めて、