「コンビニのおにぎりに異変?」。瀬戸内海での取材中にこのことばを聞き、驚きました。 のりを使わないおにぎりが増えている。その理由が、「海がきれいになりすぎたことだ」というのです。 いったいどういうことなのでしょうか。 (岡山放送局 平間一彰記者・鈴木花ディレクター)
最初に断っておくと私は男だから生理用品についてのディテールは分からないから間違いがあったら訂正してほしい 生理用品にかかる費用って家計費の割合からしたらごく僅かじゃないの?毎月コンスタントに必要な物だから僅かとはいえ計算しなきゃいけない額というならそれは石鹸、トイレットペーパー、シャンプー、歯磨き粉とかと同じなわけで 生理の貧困って石鹸の貧困と置き換えても全く変わらない物だと思うのよ で、なぜ石鹸の貧困じゃなくて生理の貧困ってわざわざ表現してるのかって考えた時に、メディアが書くときに読者へのセンセーショナルという物しか思い付かない だから「生理の」貧困ってのは特に問題にすべきような事柄ではない気がするのですがどうでしょうか
同じ著者の「応仁の乱」が面白かったので読んでみたところ、だいぶ若書きというか暴走気味で「学術的な歴史本」としては微妙なのだけども、それゆえに興味深いところがあるなあと思ったので、主にそちらについて。 「応仁の乱」のほうは漠然とした総論で大づかみに語られる日本史上の一大エポックを細かい事件経過で綴るというもので、こちらは著者のやるべきスタイルが確立した、とても良い本だった。 一方、それ以前に書かれてるこちらの本は、たぶん若手が張り切りすぎて空回りしてるんだろうなあ、もしくは時間も準備もないまま慌てて書いてしまって取り繕いようがない、という感じの力み具合があって、個別の記述は面白いところも多々あるんだけれども、全体をまとめようとして導入した視点というか史観が「戦後のマルクス主義階級闘争史観の批判」で、著者自身も「本書は非常に偏っている」とか「一種の思考実験」とかエクスキューズを述べてるんだけど
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