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遊園地に関するmojikun55のブックマーク (3)

  • 数年で消えた幻のレジャーランド、砂川遊園と砂川奇勝の話「補足編」 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    砂川遊園、砂川奇勝アゲイン 砂川遊園・奇勝のおさらい 泉州の宝塚 砂川遊園の最期 戦後の砂川遊園と奇勝 砂川奇勝保存運動 泉南市が目指す目標 展示会、行く価値ありか 砂川遊園、砂川奇勝アゲイン 以前、「砂川遊園」「砂川奇勝」、そして「第ゼロ号ネズミーランド(笑)」があったという話をしました。 場所が泉南という大阪の局地な上に、地元民としての使命感と自己満足だけで書いたので、ニッチと言えばニッチな記事。興味がない人には全く興味がわきません。 短命に終わったせいか史料も少なく、一度で掘るだけ掘り、もう堀り尽くした。もう何も出てこないだろう。そう感じつつ、記事を締めくくりました。 実は、砂川遊園と奇勝があった自治体の泉南市も、郷土史の一つとして独自にここを調べています。 たま~~にその研究結果を発表すべく、「泉南市埋蔵文化財センター」というところで砂川の展示会のようなものを行っています。 今回、

    数年で消えた幻のレジャーランド、砂川遊園と砂川奇勝の話「補足編」 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • 幻の砂川遊園・砂川奇勝と、ある方の黒歴史【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    前回、阪和電気鉄道こと阪和電鉄の歴史を発掘し、予想外の好評をいただきました。 parupuntenobu.hatenablog.jp こんなマニアックな話題にいついてくれるとは、書き手としてこんなに嬉しく、ありがたいことはありません。 このスペースを借りて御礼申し上げますm(_ _)m しかし、阪和電鉄の話題はこれで終わりではありません。 え?もう終わったんちゃうのんって? 確かに、 「阪和電鉄の調査は終わり」 とは書きました。 しかし、 「阪和電鉄の話は終わり」 とはひと言も書いていません(笑) 何故みんなこれをネタにしないんだろ?もうネタにしろと言わんばかりの話題満載な阪和電鉄。人々の記憶から消えてしまった昭和史の亡骸を再び拾い、出来る限り文字という形にしてゆくのが、「昭和考古学者」の暇つぶしお仕事。 でも当事者は、まさか約90年後にこんなにネタにされるとは・・・と草葉の陰から苦笑し

    幻の砂川遊園・砂川奇勝と、ある方の黒歴史【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • オタモイの記憶―遊園地と地蔵― - 関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

    宮下毬菜 はじめに オタモイ海岸は、小樽市の北西部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10kmに及ぶ海岸線の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻な崖と奇岩が連なっている。一帯は昭和38年(1963年)ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。 断崖絶壁の中腹に、龍宮閣、弁天閣、弁天閣堂など龍宮城に模した建物を、小樽市内の料亭「蛇の目」の経営者、加藤秋太郎が建築した。最盛期には1日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年(1952年)5月9日、午後4時26分、かまどの火の不始末により出火し、焼失した。 また、オタモイには「子宝地蔵」として近年まで多くの参拝者が訪れてきた「オタモイ地蔵尊」が存在する。 今回の調査は、加藤秋太郎はなぜこのような崖に遊

    オタモイの記憶―遊園地と地蔵― - 関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室
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