ところで、岩田さんが大学に入学し、ハル研に就職するまでの間、昭和58年(1983年)7月15日に、任天堂から、あのファミリー・コンピューターの初号機が発売されている。 岩田さんは、ファミコン史の初期段階から、任天堂に顔を出し、ファミコン向けゲームのプログラムをハル研で担当することになった。 しかも、このとき、岩田さんが作ったのは、「ピンボール」、「ゴルフ」、「バルーンファイト」など、今でも語り継がれる初期ファミコンの超名作ゲームばかり。 かなり技術的な話になるが、当時の日本には、ファミコンに採用された6502系CPUでのアセンブラに精通したプログラマーが少なく、岩田さんが慣れ親しんだPETが、同じ6502系CPUだったことも大きなアドバンテージになっていたとのこと。 中でも、特に「バルーンファイト」は、ゲームセンターにあるアーケード版よりも非常に滑らかな動きを実現し、アーケード版のプログラ
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