ブックマーク / kotobasm.hatenablog.jp (7)

  • キャンプファイヤーといえばフォークダンス【ジェンカ】 - KOTOBASM

    そしてフォークダンスといえばジェンカである。うむ異論噴出だ。そもそもフォークダンスとはなんなのか。ひとことで説明するならば、世界各国にある土着の踊りの総称であり、ジェンカはフィンランドの曲である。 もしかしたら千葉市だけなのかもしれないが、小学校で習うフォークダンスは、「ジェンカ」にくわえて、「オクラホマミキサー」と「マイムマイム」であった。林間学校のキャンプファイヤーで踊った思い出がある。 高校を卒業するまでは、毎年なんらかのかたちでキャンプには参加したものだが、社会人になってから20余年、とんとご無沙汰になってしまっている。踊りはいまだに体が覚えているので、いつでも臨戦態勢は整っているのであるが。 やはりジェンカといえば、歌は九ちゃん(坂九)である。であるがしかし、フォークダンスで踊る際、みなさんの学校では歌付きだったであろうか。たしかうちの学校は歌無しであったと記憶している。 とい

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  • 明日ホームランを打たせるおみやげ【吉野家】 - KOTOBASM

    どうしたことだろう。いつの間にか牛丼屋の勢力図が変わっていた。走る道走る道どこもすき家ばかりではないか。5(すき家):3(吉野家):2(松屋)ぐらいになっていないか。 子どものころ牛丼といえば吉野家であった。それでもむかしは店舗が少なくて、いまよりももっとありがたみみたいなものがあった。いま値段は一時期よりも上がってはいるが、それでも40年前と値段は変わっていない。 そうなのである。むかしはもっと牛丼にありがたみというものがあったから、パパがおみやげに買ってくると、子どもが喜んだのである。べたらホームランが打てそうな気がしたのだ。 ちなみにこのCMに出てくる”いちろう君”は、のちにプロ入りし大リーグで活躍するイチローである。なんでこんなくだらないウソをついているのだろう。きっとこの暑い夏のせいだ。 皮肉にも、このCMが放映された翌年、昭和55年にいちど吉野家は潰れることになる。コスト削減

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  • オープニングメドレー【夜のヒットスタジオ】 - KOTOBASM

    「夜のヒットスタジオ」は昭和43年から平成2年まで、実に22年間にわたって放送された歌番組である。大好きで番組後期は毎週欠かさず観ていた。フジテレビがまだ新宿の河田町にあったころの輝かしい金字塔である、といっても過言ではないだろう。 夜ヒットにはかならずオープニングを飾るメドレーがあった。司会者から最初に紹介された歌手が「他歌手の持ち歌」のワンフレーズを歌い、次に「さっき歌われた歌の持ち主」にマイクを手渡しその歌手が「他歌手の持ち歌」を歌う。 バトンリレーの様に他人の歌をワンフレーズづつメドレー形式で歌っていき、最後はトリの歌手が「トリ前の歌手が歌った自分の歌」のサビを歌う。と、かんたんに説明するとこんなかんじである。言葉で説明するより、動画でみたほうがわかりやすいか。 むかしはいまよりもポップスやロックと演歌の区分けがはっきりしてなくて、さまざまな歌番組で違和感なく組み合わされていた。夜

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  • 続・最低ジョンレノン【ジョンの生い立ちについて】 - 昭和KOTOBASM

    まずこの話をすすめる前に、ジョンレノンの生い立ちについて、説明しておかねばなるまい。ジョンの父は船乗りであまり家にはいないし、母は他の男と同棲中ということで、ジョン自身は伯母のミミさんに育てられた。 またこのミミ伯母さんが厳しいヒトで、なおかつコントロールフリークみたいなところもあった。その反動からか、反抗的な少年時代を送ったわけだ。そのなかで1955年には、血も繋がっていないのに、ジョンに優しかったジョージ伯父さんが亡くなる。 さらには実の母親であったジュリアも、1958年に交通事故で失うという不幸に見舞われる。多感な時期にいろんなことがあったわけだ。それらのハナシもふまえてさらに続ける。 ジョンが大好きな私の彼は「理解できる」と言っていました 克也さんも男性ですから、ジョンの気持ち理解できるでしょう。 これはある女性リスナーが、パーソナリティーの小林克也にむけて、リクエストはがきにつづ

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  • 歌い手が良くて作詞作曲したヒトがよくてレコード会社が頑張っても売れるとは限らないそれが歌というもの【夏しぐれ】 - 昭和KOTOBASM

    この画像は、いまでも活躍している、とあるロックバンドの昭和40年代後半に撮ったであろうプロマイドである。こうしてみると、2人はいまでも面影が残っているけれども、もう2人は誰?状態である。 今週のタブレット純さんのラジオ番組「音楽の黄金時代」の特集は”夏の歌”ということで、この「夏しぐれ」が流れていた。そう。なにを隠そう、プロマイド写真の4人の正体はアルフィーなのであった。 昭和49年のデビュー当時は、”アイドルフォークバンド”だった彼ら。ちなみに左上のヒトは三宅康夫さんといい、デビューの翌年に家庭の事情で脱退した幻のメンバーである。 この夏しぐれという歌はデビュー曲で、作詞は松隆で作曲は筒美京平というゴールデンコンビである。とてもいい歌なのであるが、これがまったくといっていいほど売れなかった。 それからというもの、もう1枚シングルを出したあと、レコード会社との契約も解除となってしまう。鳴

    歌い手が良くて作詞作曲したヒトがよくてレコード会社が頑張っても売れるとは限らないそれが歌というもの【夏しぐれ】 - 昭和KOTOBASM
  • シュガーをレスっていないガム【チウインガム】 - 昭和KOTOBASM

    前回、トライデントシュガーレスガムの話をしていて思い出した。あのころはシュガーレスのガムって珍しかったのだなあと。それがいまではコンビニどころかスーパーでもシュガーレスガムであふれかえっている。 それにくわえて実用的なのである。息をさわやかにしたり、眠気をさましたりと。遊び心はまったくといっていいほど見受けられない。ふうせんガムはいつの間に姿を消してしまったのであろうか。 そもそもガムの役割自体が、フリスクのような清涼菓子に取って代わられた。しかもそういった状況のなかで、ガムは内紛まで起こしてしまった。そして粒ガムが台頭していき、板ガムは片隅に追いやられてしまったのだ。 そういえばいまや道を歩いていて、嚙み終わったガムを踏んでしまうという失敗もほとんど無くなった。あれはなにげに精神的ダメージが大きかった。いちど踏むと、なかなかうまく剥がせないのだあれは。 だいたいヒトが踏みそうなところに噛

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  • 鳩の休日(日本テレビ)【特集・昭和なテレビクロージングの世界】 - 昭和KOTOBASM

    そのむかし、テレビがアナログでいまみたいに24時間放送するのがあたりまえではなかったころ。その日の放送開始・終了を告げる局名告知(ジャンクション)というものがあった。 というわけで、あらたにはじまった特集記事は、「昭和なテレビクロージングの世界」である。この放送終了(クロージング)の局名告知が好きだった。この独特な雰囲気と終末感がたまらないのである。 放送局は放送の開始及び終了に際して、呼出符号または呼出名称、周波数及び送信方向をを放送しなければならないという決まりがある。これは在京キー局であっても地方局でも同じで、北は北海道から南は沖縄まで、さまざまな局名告知が存在する。 その代表的なものが、日テレビの「鳩の休日」である。1953年8月28日の開局以来、マイナーチェンジがありながらも、2014年までの長きにわたって流されてきた。 観られないとき、消去されている場合はこちら ちなみに「鳩

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