責任に関するmonobako2のブックマーク (2)

  • 第3回 「空気」という媒体=場

    海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。第3回は、岡田利規『エンジョイ』の持つ批評性について。 弱さの蒐集を導くのは、具体的な誰それではなく、追い払ったはずのウーティスなのではないか。 よく知られている議論だが、山七平ならば、このような状態を「空気の支配」と表現したかもしれない。そんな話を持ち出せる空気じゃありません、だとか、その場の空気では……、といったかたちで、日では決定を必要とする場面において、個人の決断よりも場の「空気」が優位を得て、ひたすらこれに流されていく。しかも、そのウヤムヤな決定過程には合理的

    第3回 「空気」という媒体=場
    monobako2
    monobako2 2017/08/15
    明文化されないもの。匂いが空気=場を作り変える
  • 第1回 「誰でもない」を生きること

    海外でテロリストの人質になるとさかんに「自己責任」論が叫ばれる。他方、甲子園児の不祥事が発覚するとそのチームが不出場となる「連帯責任」も強い。「自己責任」と「連帯責任」、どちらが日的責任のかたちなのか? 丸山眞男「無責任の体系」から出発し、数々の名著を読み解きつつ展開する、「在野研究者」による匿名性と責任をめぐる考察。 誰しも「誰でもない」と言うことで大きな難所を切り抜けた経験があるものだ。 ホメロス『オデュッセイア』第九歌。トロイア戦争凱旋のおり、船が難破して遭難してしまい、なんとか故郷に還らんとするオデュッセウスは、その帰路でキュクロプスたちに囚われる。 キュクロプス、英語読みすればサイクロプス(Cyclops)とは、一つ目の巨大な怪物のことである。オデュッセウス一行は、見張りのキュクロプスを言葉巧みに騙し、酒で酔わせ、ついには丸太でその目を潰す。 肝心なのは怪物退治で用いたオデュッ

    第1回 「誰でもない」を生きること
    monobako2
    monobako2 2017/08/15
    誰も責任を取らないこと、誰もが責任を取ること、誰かに責任を取らせること
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