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言語に関するmordecaiのブックマーク (3)

  • 誰もが手話ができる島には、耳が聴こえないことがハンディキャップにならない共同体ができた──『みんなが手話で話した島』 - 基本読書

    みんなが手話で話した島 (ハヤカワ文庫NF) 作者:ノーラ エレン グロース早川書房Amazonこの『みんなが手話で話した島』は日では最初に1991年に築地書館から刊行された単行の、30年以上の年月を経ての文庫版である。テーマになっているのは、アメリカ・ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島の人々の生活についてだ。 この島では一時期、閉鎖的で外部と遺伝子が混ざりづらく、遺伝性の聴覚障害のある人が多く居住し、誰もが当たり前のように手話を使う期間が長くあった。その結果、聞こえない人も聞こえる人とまったく同じように過ごし、その差異が意識にのぼらないほどとけ合って生活する特殊な文化が生まれていた。書はその文化を数多くの証言から書き残すものだ。文化人類学者の著者はこの島の生まれであり、1980年代に当時のことを覚えている島の人たちに話を聞いて、ぎりぎり書を書き上げている。 というのも

    誰もが手話ができる島には、耳が聴こえないことがハンディキャップにならない共同体ができた──『みんなが手話で話した島』 - 基本読書
  • ジャンル論 - Screaming at a Wall

    増田聡さんの『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』というを読んでます。 ポピュラー音楽をめぐる言説において「愛着のディスクール」の支配が根深い、つまり自分がそのアーティスト、作品を好きであることがそれを語るのに必要不可欠となってしまっている、という序文の指摘は、ポピュラー音楽のジャーナリズム、評論(ロッキンオンに典型的な)に対して自分が感じていた違和感を適切に言葉で表してて納得してしまったり。 3章まで読んだんですが、特に2章のジャンル論が興味深いです。 ポピュラー音楽のジャンル観念は ①恣意性(作品の持つさまざまな特質のどれをメルクマークとみなすかの判断で異なる分類体系へと編成される余地を残す) ②規範性(いったん分類が成立するとその分類は容易には変えられず、音楽家や聴衆には社会的リアリティを持つ規範として働く) という二面性を持ち、両者は実際のポピュラー音楽の実践全体のなかで相互に絡ま

    ジャンル論 - Screaming at a Wall
  • 翻訳についての二つの対話 - 内田樹の研究室

    高橋源一郎さんと柴田元幸さんの対談集『小説の読み方・書き方・訳し方』(河出書房新社)のゲラが届いたので、読む。 高橋さんも柴田さんも、小説を読んで、書いて、訳している。 柴田さんは不思議な味わいの短編集をいくつか出している(『バレンタイン』と『それは私です』が私の書架にはある)。 高橋さんの訳書にはジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ・ビッグシティー』がある。 よい訳である。 高橋さんにももっと翻訳をしてほしいけれど、小説を書く方が忙しくて、そこまで手が回らないようである。 小説を書くことの意味、小説を訳すことの意味について、たぶん現代日でもっとも深く遠くまで考えている二人による対談であるから、すごく面白い。 私はよく考えたら、小説を書いたこともないし、訳したこともない。 あれほどたくさん翻訳をしていながら、一度も小説を訳したことがない。 どうしてだろう。 一人一人には、なにか性格的趨

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