家康の人物像を象徴する「しかみ像」は三方原の敗戦とは無関係なのか(「徳川家康三方ヶ原戦役画像」を模写、絵・富永商太) 徳川家康は、派手好きな織田信長や豊臣秀吉とは違って、地味で我慢強いという人物評が一般的だろう。 城郭考古学が専門の千田嘉博・奈良大学長と全国の家康に関係した地を歩くうちに、本当に家康はそんな人物だったのだろうかと疑問に思うことがあった。例えば、秀吉政権の「首都」だった伏見城(京都市)城下にある御香宮(ごこうのみや)神社に晩年の1605年に家康が建てた本殿(重要文化財)は非常に派手な極彩色で、「これが家康の趣味なのか」と驚いた。 ◎嫁入り道具と判明 我慢強い家康像として、近年、テレビドラマやマンガなどだけでなく、学術書にも取り上げられているのが、徳川美術館(名古屋市)が所蔵する「徳川家康三方ヶ原戦役画像」、通称「しかみ像」だ。 1572年に武田信玄に三方原(みかたがはら)で大
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