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ブックマーク / ikedanobuo.livedoor.biz (3)

  • 小保方氏の主張について : 池田信夫 blog

    2014年04月01日23:23 カテゴリ科学/文化 小保方氏の主張について 理研の「最終報告」はまったく最終ではなく、予想どおりバッシングの嵐だが、ちょっと気になることをメモ。いうまでもなく私は専門家ではないので、論理的な疑問だけを書く。毎日新聞のまとめによると、理研が小保方氏をクロと認定したのは、次の2点だ。小保方氏の博士論文と酷似した画像がある→捏造と認定 遺伝子の実験データ画像が切り張りのように見える→改竄と認定このうち重要なのは1だが、彼女の弁明では「酸処理による実験で得られた真正な画像であると認識して掲載したもので,単純なミスであり,不正の目的も悪意もありませんでした。真正な画像データが存在していることは中間報告書でも認められています。したがって,画像データをねつ造する必要はありません」と述べている。これは次の図だ。 理研の規定では「悪意のない間違い」は研究不正として処罰されな

    小保方氏の主張について : 池田信夫 blog
  • 弱い政府と強い軍 : 池田信夫 blog

    2013年12月31日15:17 カテゴリ 弱い政府と強い軍 靖国をめぐる議論では、合理的な戦略論ではなく「祖国のために死んだご先祖様に申し訳ない」といった感情論ばかり先走るのが日人の特徴だが、戦争は感情でやるものではない。そういう要素もあるが、何よりも重要なのは戦力と意思決定である。 この点で、日軍は重大な欠陥を抱えていた。天皇という「権力なき権威」を利用して政権を奪取した明治維新は、犠牲を最小限にした点では賢明だったが、国家を維持することは困難だった。天皇家が1000年以上も続いたのは(ごく初期を除いて)実権のない儀礼的な「みこし」として使われたからであり、それを国家権力の中心に置いた明治憲法には無理があった。 内閣は憲法で規定されず、統帥権は独立し、軍の中でも陸海軍がバラバラだった。それを辛うじて統合していたのは法の支配ではなく、長州閥などの派閥だった。初期にそれをになっていた

    弱い政府と強い軍 : 池田信夫 blog
  • 「東京裁判史観」を批判する平和ボケ : 池田信夫 blog

    2013年12月31日01:12 カテゴリ法/政治 「東京裁判史観」を批判する平和ボケ 右翼の平和ボケは、自覚してないだけ左翼より重症だ。「東京裁判史観」がけしからんとかいう話は、その最たるものだ。東京裁判は敗戦国の指導者を殺すための政治的儀式であり、不公平もへったくれもない。国際法には、法の支配はないのだ。 そもそも戦犯裁判なんか、第一次大戦までなかった。昔の戦争では、敗戦国の王はもちろん、戦争を指導した貴族も皆殺しにされるのが当たり前で、それが彼らの特権の理由づけだった。貴族には戦争になったら真っ先に志願する義務があり、これがnoblesse oblige(高貴なる義務)の来の意味である。 どこかで必ず戦争が起こっていた中世ヨーロッパでは、これはフェアなしくみだった。民衆は「戦争になったらあの人たちが死んでくれるんだからしょうがない」と思って税を負担したのだ。おかげで中世の都市国家の

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