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ブックマーク / kanahebijiro.com (109)

  • 子供の時から私だけかとおもっていたら。 - ココからのブログ

    不思議の国のアリス症候群が昔ひどかった。 わけが分からなかった子供の頃。 今だからアリス症候群が有名になってなんだったか自分の事を理解した。 でも子供の頃は分からなくてただただ怖かった。 小学校3年生くらいの時。 私は小さかったのでいつも1番前の席だった。 担任は怒ると木製の大きな三角定規で叩くような怖い女の先生だった。 ヒステリックで朝から晩までほとんど怒っていて恐怖政治で支配されたクラスだった。 何が地雷になるかわからないので皆ニコリともせずに神妙に話を聞いていた。 それはそれは長い退屈な授業。 教室の右端の席に座っていたのだが、時計が左にあった。こっそり先生の後ろの時計ばかり見ていた。 時計の針は全く変わらず 「もしかしてあれは止まっているのかもな」 そんな事を考えていた時、急にそれは始まる。 先生の声はそのままで、目の前にいる事もそのまま。 なのに突然 自分との距離感がおかしく感じ

    子供の時から私だけかとおもっていたら。 - ココからのブログ
  • たぶんリズムとテンポがいまいち。 - ココからのブログ

    小さい頃から恐ろしいほどドンくさくて、そのせいでしょっちゅう転んだり怪我ばかりしていた。 よくぞご無事でと自分でも思う。 昭和のがっこうがえり。 小学校の帰り道。 私の家は火葬場の隣で町のはじっこだったので校内一二を争うくらい学校から遠い。 土曜の午後は半ドンだった。 次の日が休みという喜びもあってダラダラみんなで遊びながら帰った。 途中から家が遠いグループの数人の男子といつも一緒に帰った。 それはそれはのどかな田舎の夏の日。 順番に川というか堰をジャンプすることになった。 そこは子供にとって勇気が試される場面だ。 皆次々と勇敢に飛んでいた。 全員が思い切り良くテンポよく飛ぶ。 みんながあっという間に向こう岸に行ってる。 そこは川幅もあり流れが怖くていつまでも飛べなかった。 あまりにも飛べないので腹が減ってきた男子はとろい女子など待っていられるはずもなく 先に帰っていった。 誰もいなくなっ

    たぶんリズムとテンポがいまいち。 - ココからのブログ
  • ココからのブログ

    2024-08-26 ギャラリー森山ゆうれい展、怖いもの見たさはかわらず。 おもしろかったこと 私について 好きなもの編 私は、幼い頃、火葬場のとなりに住んでいたのだけれど、そこは相当古い建物で、待合室に気味の悪い掛け軸があった。うすらぼんやりした絵で、まともに見れないくらい怖かったのだが、今になると、どんな絵だったか,思い出したくてたまらない。 お寺の地獄絵… 2024-08-23 何がべたいか決められないおばさん。 私について 思い出編 おもうこと あれをたべたい。 なにかやってみたい趣味とか、スマホの格安SIMを違う会社のに変更するとか、利便性を考えて引っ越しとか、普通は熟考してからやるようなことに限って、あまり深く考えず決めてしまう。めんどくさくないの?と驚かれるが、どちらかというと… 2024-08-19 文豪、そして殺人鬼。絶賛ハマり中。 おもしろかったこと 私について 好き

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  • 過干渉な私という母親に子供が負けないように。 - ココからのブログ

    お母さんなんでべないの? 子供達がまだ小さい頃。 私が、おかずにあまり手をつけなかったりすると、どの子も必ず聞いた。 それは単に、私がお昼に友達ランチに行ったとか、おやつをべすぎたとか、体調が悪い訳ではないとしてもだ。 何もべずに卓に居ると、子供はそれを不思議そうに見る。 私の箸がすすんでいないのを見るたびに、はたと止まって聞いてくる。 「なんでべないのさ?お母さんも一緒にべようよ。」 そんな事を言っていた。 じっと見つめる子供の目。 そんな時自分の子供の頃の気持ちをふと思い出す。 お母さんはしあわせなのだろうか 自分が幼かった頃。 私にとって母は、いつも色々な事を我慢をしているように見えた。 母は料理がとても上手かった。 超豪華という訳では無いのだが、山盛りのサツマイモの天ぷら。唐揚げ。いなりずし。 色々なものを作ってくれた。 友達が来ると、スパゲッティを山のように作ってく

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  • すごい幸せをかんじるための今。

    我慢ばかりの日々。 コロナ不況 、オンライン授業、リモートワーク、お祭りも行事も中止。 追い討ちのようなこの大雪だ。 今はどれだけ人間が我慢できるか試されてるんだろうかと思ってしまう。 処刑できるくらいのつらら 大学生の息子は入学して1年以上オンライン授業だった。 サークル活動もいまだ数回しかできないようだ。 次女は中学の修学旅行は、先生達が頭を悩ませて[県内の隣の隣くらいの町に日帰り]で出かけて終わった。 もちろんバスの中は会話禁止。でもこんな中なので感謝している。 吹奏楽部は、文化祭の引退の花道である発表も静かな体育館でする演奏を教室でモニターで見るだけという形で終わった。引退の花道は何とも寂しいものだった。 長女は職場の「飲み会がなくなって楽でいいわ」と言いながらも、田舎の誹謗中傷も怖いので 好きな旅行も我慢の日々だ。 今どきの若者はというけれど、若者は大人の決めたことに従うしかない

    すごい幸せをかんじるための今。
  • スマホ脳。頭も性格もわるくなった? - ココからのブログ

    最近。 というかスマホを持つようになってから、 記憶力が低下してるように感じる。 わすれる。 先日、数ヶ月先のライブの先行予約を申し込んだ。 アプリを入れたりサイトの会員になったり色々面倒な登録をした。 大物アーティストで申し込み多数の場合は抽選との事でドキドキして待った。 もしやコロナで中止になったらあきらめよう。 行けたら嬉しいがダメもとで、どちらでもいいと思っていた頃当選のメールが届いた。 期日までにお支払いくださいとの事だった。 それではすぐにクレジットで決済をしようと思った。 詳細はこちら この文字を押したら次にログインを求められた。 てっきりスマホが覚えていてくれているかと思い込んでいたパスワードが出て来ない。 焦りながら、記憶にあるパスワードを打ち込んだ。 私はパスワードを決める時、サイト名と自分の名前のローマ字を組み合わせた一定の法則を決めていた。なのでこんなの余裕だと思っ

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  • へんしんはふようです。 - ココからのブログ

    返信不要。 最近。 この表現が突き放したように聞こえ冷たい感じがするとか、返信するかどうかを決めるのは受け取る側なので指示されたくないという意見があるという。 人によって捉え方は違うものだなと驚いた。 今度使う時は状況や受け取る相手の事を考えなければと思った。 でも。 私はわりと"返信不要”という言葉が好きだし よく使うほうだ。 それはたぶんたくさんの優しい返信不要に出会ってきたからだと思う。 二つ前の勤務地で 長女が8歳、長男が5歳の夏。 次女が産まれた。 3人目ということで余裕の子育てだと思っていた1ヶ月健診。 顔見知りのドクターと談笑していたら 次女の心臓の病気が見つかった。 ショックで自分が立っている床が一瞬斜めになったかと思うような感覚があった。 周りに助けられた日々 実の母が来てうえの2人の世話や事の支度をすることとなった。 夫の母も上の子達の通院や時には遊びに連れて行ってく

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  • 大人になれない。偉大なる父親という邪魔な存在。 - ココからのブログ

    母方の祖父は99歳まで生きたが父方の祖父もかなり長生きだった。 思えば太く長い人生だった。 自称?だったのか・・・ 祖父は坊さんだった。 近所でお年寄りが亡くなると連絡が来た。 時間になると故人の家の人が祖父を呼びに来た。 祖父の家の裏が墓地で、墓守兼坊主のような仕事でちょっとだけありがたがられていた。 お通夜やお葬式の前にはかならずお風呂に入っていい匂いになった。 ひとっ風呂あびて湯気のあがった祖父は袈裟を着て身支度をしていた。 迎えに来た車に乗ってうやうやしい様子で出かけていくのを見送った。 一連の儀式を終わらせるとお酒とご馳走を頂き、タクシーで戻ってきた。 父と違って酒に飲まれるタイプではないので決して乱れた様子ではないが、相当の大酒飲みで強い。 帰りはいつもご機嫌で帰宅した。 タクシーの運ちゃんも酔った祖父が転ばないように慣れた様子で家の中まで連れてきてくれた。 葬式が終わって上機

    大人になれない。偉大なる父親という邪魔な存在。 - ココからのブログ
  • 笑いVS怒り。最後に勝つのは結局笑い。 - ココからのブログ

    **** 私は50年あまりの人生がわりと波乱万丈だったので打たれ強さはあるほうだ。 起きる出来事が大きいほどどこかで 「どうにかなるだろう」 瞬時に冷静に思う冷めた自分がいる。 たぶん昔からの "大変な事が起きた”と "でもどうにかなった”の繰り返しからの慣れだと思う。 しかし冷静な自分と真逆で矛盾するが焦燥感が常にある。 今年もなにかやり残したようなあせる気持ち。 年末になり世の中がせわしなくなるといつもこうなる。 今年も父を許せなかった。 過去には親を憎む感情に支配された事も正直あった。幼い頃はぼんやりとしていた事が大人になるにつれてはっきりしてくる。 よく親になってはじめて親の気持ちを理解出来たと聞くが、私は最初そうではなかった。 なぜこんなにも大切な自分の子供にあんな風に出来たのか? 負の感情に支配されてばかりだった。 20代で父の作った借金で家族がバラバラになった。 数年父と会わ

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