こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xbsWF7zD0j
![尾崎 🦇 on Twitter: "こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xbsWF7zD0j"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/df024ef8cc1c632d39abd1e14d22cf36a9dfb2a7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fmedia%2FEcYrKwlU0AAfXZL.jpg)
・なんかあと2時間後くらいにnoteのメンテがあってアクセスできなくなるみたいだから焦って書いてます。 11/24(日)学習院大学にて「『現代思想』11月号にまつわるシンポジウム」が開催されます。Peripatosも若干協力しております。豪華登壇者陣による反出生主義をめぐっての最先端の議論が楽しめるはずです。入場は無料となります。是非、奮ってご参加下さい! pic.twitter.com/7oJIIuSVsB — Peripatos GU (@Peripatos_G) November 16, 2019 ・ちょうど先月末の『現代思想』で反出生主義が特集されたばかりとあって、一部マニアの間では反出生主義はポケモン剣盾と同じくらいの盛り上がりを見せていると言ったら完全に嘘ですが、まあ流行っているのです。 ・今回のシンポは入場無料で、興味がある人であれば誰でも侵入していいみたいだし、一回くらい学
学び You don’t exist just ‘to be useful’, President tells young philosophers
4月27日は「哲学の日」。紀元前399年のこの日にソクラテスが毒杯を仰いで死んだという俗説に由来します(なお、これは俗説のようで典拠は不明です)。哲学と言えば、難解で、役に立たないことの代表のように言われることもありましたが、近年「哲学の復権」が語られています。私たちの生きる世界が、歴史的、社会的、人間史的な逼迫のなかにあり、悪い方向への転換点にあるのではないかという問題意識が、思索への回帰を促しているのかもしれません。小社書籍から、比較的近年に刊行したものを中心にご紹介します。
「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日本の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「
「ボキャブラリー」の変化が、人間の思考を変化させている――思想を歴史的に研究する意味とは 現代思想・政治思想史 重田園江氏インタビュー 情報 #フーコー#教養入門#監獄の誕生 人文系の学問は、とにかく本を読むのが仕事というイメージがあります。しかし実際には、本を読んで、それから何を考えているのでしょうか? 特に抽象的な思想や哲学の本は、いったい何の意味があるのでしょうか? 今回お話を聞く重田先生は、「意味はあるかって、そんなのあるに決まってる」と喝破します。 明治大学4年生の私、白石が今までずっと気になっていた先生方にお話を聞きに行く、短期集中連載『高校生のための教養入門特別編』の第7弾。現代思想・政治思想史が専門の重田園江先生に、高齢者問題からトランプ現象の特異性まで、思想家のミシェル・フーコーを経由して熱く語っていただきました。(聞き手・構成/白石圭) ――先生のご専門である現代思想と
男装アイドルユニット「風男塾」の元メンバーで作家・哲学ナビゲーター、原田まりる(31)の小説「ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」(ダイヤモンド社)が、哲学というジャンルとしては異例の売り上げを重ねている。 先月30日の発売から3日後には重版が決定。初版7000部を超える8000部の増刷で、「合わせて1万5000部、このジャンルではかなりいい数字です」と担当者も驚くほど。 京都を舞台にニーチェやサルトルといった哲学者が現代的な姿となって現れ、女子高校生の主人公・アリサに“哲学する”とは何かを教えていく哲学エンターテインメント小説。難解なイメージが強い実存主義の哲学を、読みやすい文章でひもといていく。 「ニーチェはオタク気質のスマホゲーム開発者、サルトルはガールズバーのオーナーというように、キャラクターをデフォルメ化して登場させたかった。横文字の名前とその人
こんばんは。6月に祝日がなくてへこんでる佐伯です。 哲学って面白いですよね。 面白いんですけど、いろんな哲学書を読んでると様々な考えが浮上してきて収集がつかなくなることがあります。 だからこそ面白いんですけどね。 今日はそんな面白い哲学の話からスワンプマン問題という有名な話を取り上げたいと思います。 スワンプマン問題 スワンプマン問題とは? スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。 スワンプマン - Wikipedia 実際に起きた事件ではなく、哲学者であるドナルド・デイヴィッドソンが考えた実験です。 思考実験の内容 思考実験の内容は以下の通りです。 ちなみに、正解はないの
対訳聖書といっしょに時々ホテルにおいてある対訳仏典を見ると、「煩悩」をpassion、「慈悲」をcompassionと訳してあった。 これによれば「慈悲」はつまり「共-煩悩」である。 compassionとは、接頭語と語幹を切り放せば、辞書の意のとおり「同com-+情passion」となる。 あまりの一致に明治以降の翻訳語かとも思えるが、「同情」は『史記』にも出てくる。「心情を同じくする」の意味だ。 「同情されるのは好きじゃない」「同情はやめてくれ」などと言うが、どうやら「同情」のなんたるかが分かっていない。 「同情」は、憐れみよりも「共感」である。 腕をもがれ血を流す人がいれば、少なからずそのことに引きずられる。 たとえでなく、痛みを感じことすらある。 これは好き嫌い以前の、否応なき事実であり、一種の法則である。 否、これこそ、「生相憐み、死相損つ」と先に述べた「憐」であり、生きているも
2014年01月13日06:00 哲学者が指摘する「甘えを許さない人」、「知恵袋とかで説教しだす人」の心理分析が的確すぎww Tweet 1: イス攻撃(catv?):2014/01/09(木) 11:21:25.26 ID:R+tNF9ee0 「皆、弱者の気持ちがわからなければならない。しかし、強者の気持ちはわからなくてよい」という現代日本の風潮がイヤでなりません。 だから、皆、「弱者」になりたがるのです。なぜなら、そのほうがトクだからです――と、つい日頃の怒りに任せて書きつづりましたが、一般に次のような「悩みの法則」があるかもしれません。 (1)重い悩みを抱えている人は、軽い悩みを抱えている人を軽蔑する。 (2)具体的な悩みを抱えている人は、普遍的な悩み(たとえば人は死ぬこと)を抱えている人を軽蔑する。 (3)悩みを抱えている人でそれを外に出さない人は、外に出す人を軽蔑する。 悩む人を
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