1966年の初夏、高山英男氏などの提言や支援により私は再び人形劇団設立を決意した。そして私は旗揚げ公演に『人魚姫』を企画し、寺山修司に台本執筆を依頼した。(無論、この企画案には高山氏も賛成であった。) その『人魚姫』執筆依頼の時、私は寺山に2つの驚きを体験させられた。そのひとつは、寺山がアンデルセンの『人魚姫』を全く知らなかったこと。名前も初耳らしかった。(そう言えばある大劇団の著名な演出家も知らなかったと聞いている。) 慌てた私は、その場に同席していた秋田次男に頼んで近くの本屋から文庫訳を買って来て貰い、寺山にプレゼントした。寺山への本のプレゼントと言えば、この『人魚姫』童話以前にもシュールレアリズム最大の先駆的作品のアルフレッド・ジャリの『超男性』(佐藤朔訳)をプレゼントし、『人魚姫』以後では、東洋文庫の『説教浄瑠璃集』(「さんせう太夫」「しんとく丸」など、収録されている)をプレゼント