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ブックマーク / amano.blog.ss-blog.jp (2)

  • 天野祐吉のあんころじい

    なだいなださんが亡くなった。 いまの世の中で最も尊敬できる、また最も信用できる人の一人だった。 お目にかかったのは、5回か6回くらいだが、そのたびにぼくは強い刺激をうけた。 はげしいひとではない。 温和で、ユーモア・センスあふれる、それでいて、ときどききびしい目をなさる人だった。 「広告批評」に出ていただいたのは、 1980年8月号での鶴見俊輔さんとの対談「戦争が宣伝されるとき」など、 4回くらいだったと思うが、どれもとても刺激的で面白かった。 最近では『老人党宣言』や、「ちくま」の連載「人間、とりあえず主義」など、 一貫して姿勢の変わらない、ときに目からうろこが落ちる思いをさせてくれるような、 いい仕事をしていらっしゃる。 とくに、ことしの「ちくま」3月号に書かれた「〝賢い国〟というスローガン」には感銘を受け、 あちこちに引用させてもらった原稿を書いていたところだったので、 なださんの訃

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  • また、テレビジャーナリズム考: 天野祐吉のあんころじい

    たしかに、筑紫哲也さんや久米宏さんや田原総一郎さんやみのもんたさんや古館伊知郎さんといった人たちは、テレビ・ジャーナリストと呼べる人たちです。 でもね、その人たちはニュース番組のアンカーでしょ。ぼくが日にいないと言っているのは、カメラをかついで世間に出て行って、イキのいいニュースをせっせと掘り起こしてくる取材者なんですね。 もちろん、放送記者という人たちが、いることはいます。が、おとなしい栗ぼっちゃんのような人が多くて、マイケル・ムーアみたいな暴れん坊がいない。野次馬精神旺盛のやんちゃ坊主がいない。 だから、せっかくのテレビが、絵入りの新聞みたいになってしまって、世の中が生き生きと見えてこない。画面の中の世間が、ぜんぜん呼吸していない。なんじゃらほいといった感じなんですね。 しかも、その記者の人たちの大半は、書いた原稿を棒読みしているだけで、自分の言葉でまったくしゃべらないときている。災

    また、テレビジャーナリズム考: 天野祐吉のあんころじい
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