今朝の読売新聞の編集手帳を読んで、教養というか知識のありかたでふと気になったことがあった。まあ、些細なことと言えば、些細なことなのだが、最近というか、いつからか、教養というか知識の「国境線」が変わったような気がするのである。まあ、一例として上げるだけで、該当コラムを批判したいわけではないので、そこは誤解なきよう。 気になったのは以下の部分である。 編集手帳 時間は時計で計れる何かではない。その身で経験するものだ。昔、批評家の前田英樹さんがそんな趣旨の一文を本紙で綴っていた◆さる哲学者の言葉が添えてあった。<砂糖水をこしらえようとする場合、とにもかくにも砂糖が溶けるのを待 たねばならない。この小さな事実の教えるところは大きい>。どのくらいの時間で溶けるか、皆知っている。けれど、それは単なる計算結果で、待つ間の気持ち次第で短くも長くも感じるものだと◆ いい文章である。達文と言っていいだろう。た