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2006年9月14日のブックマーク (3件)

  • リヒテル――間違いだらけの天才 - sekibang 1.0

    スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。 「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏

    リヒテル――間違いだらけの天才 - sekibang 1.0
    motimoti3
    motimoti3 2006/09/14
    リヒテル ブリューノ・モンサンジョン 
  • 傷だの痛みだの - リツエアクベバ

    はてなブックマークからたくさんのアクセス、検索エンジンからは「乙武」「炎上」、そしてそれにからむワードの検索が、何もしなくてもどやどやと押し寄せている今日この頃です。 トラックバック受信した ネットイナゴの恐怖/琥珀色の戯言では、謝罪に関してのことと、コンプレックスについて語られていまして。 謝罪と保身に関しては、それはおっしゃるように仕方の無い選択なのかもしれない。ただし、前例や出来事としての展開というものを作ってしまうことに対してどう考えるか、という視点は必要だと思います。 コンプレックスに関して、ですが。思い出すのは丘修三著「風にふかれて」の第五話「さかえ荘物語」。いろいろな人が住んでいる木造のアパートに、ある日新しい入居者が来る。車椅子使用で言語に障害もある。主人公の子どもははじめはこの人を怖がります。それとは裏腹に、大人たちはこの人に優しく、主人公の父親はなぜか共同募金の赤い羽根

    傷だの痛みだの - リツエアクベバ
  • 声優が劇中歌を歌う意義 - Phase-D

    以前『ガンダムSEED』(『Destiny』でもあったけど、最初は『無印SEED』のはず)で、ラクス・クラインのライヴシーンがそれなりに重要な局面として存在したわけですが、当時「あぁ、何で田中理恵が歌うかなぁ」という感想を持っていました。今もその感想はあまり変わらないのですが、何故そう思うのかがよくわからないままでした。 ところが最近、平野綾に関連するふたつの劇中歌を聞いてその謎が少しだけ解けました。ひとつは『涼宮ハルヒの憂』の12話「ライブアライブ」における学祭ライヴシーン、もうひとつは『NANA』の18話におけるトラネスのライヴシーンです。 前者はネット界隈各所でも絶賛を浴び、放送直後に劇中歌をシングルリリースしてヒットに持ち込んだというアレです。後者では役柄としてのレイラは平野綾が演じていましたが、歌の部分に関しては「OLIVIA inspi' REIRA (TRAPNEST)」名

    声優が劇中歌を歌う意義 - Phase-D
    motimoti3
    motimoti3 2006/09/14
    同様の議論として声優が歌う(もしくはそうじゃない)キャラソン・主題歌・挿入歌っていう問題もありますが、それはまた改めて。