id:acidtank(ギター、ヴォーカル)、id:Delete_All(キーボード)と共に結成したバンド、ニップル騎士団の楽曲発表第2弾。今回は、昨今のロハス・ブームを意識し「俺らなりの琉球民謡」を作りました(即興で)。もはや「1人上々台風」と化した黒人ブロガーの熱唱を堪能ください。 関連エントリ 2008-11-09 http://d.hatena.ne.jp/acidtank/20081109/p1
「心の底から志位和夫を応援したいと思っている」というキャッチコピーで一斉を風靡したいと思っているバンド、AGURA BOYZ JUSCOの新曲をお届けします。今回はキング・オブ・ファンク、スガシカオをイメージしました。嘘です。 いつの間にか君のことだけ忘れてる いつの間にか君のことだけ覚えてる そらでかけられる電話番号は君のとこだけ 君が泣いた日のこと思い出す 君の差しかけてくれた傘の色は三原色 君のことだけが忘れない 君のことだけが忘れない
ブルックナー:交響曲第7番posted with amazlet at 08.10.22ショルティ(サー・ゲオルグ) ユニバーサル ミュージック クラシック (2007-03-07) 売り上げランキング: 198231 Amazon.co.jp で詳細を見る 通勤中にアントン・ブルックナーの交響曲第7番を聴いた。以前はこの作曲家に対して「なんだか良くわからないなぁ」という気持ちでいたのだが、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキのブルックナー演奏に生で触れてからというもの、進んで「聴きたいなぁ」という風に思うようになった(以前は、めったに聴こうと思わなかったのだ)。 一度しかブルックナー作品の生演奏聴いていないという身分でこんなことを言うのも生粋のブルックナー・ファン(俗にブルヲタを呼ばれている……)の方からすれば「けしからん」という話かもしれないが、クラシック音楽が好きだ、と自称する人であれ
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)posted with amazlet at 08.10.20グールド(グレン) ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2004-11-17) 売り上げランキング: 300 Amazon.co.jp で詳細を見る グレン・グールドのバッハを聴き返している。「20世紀最高のバッハ弾き」と謳われることもあるこの演奏家のバッハ演奏について、私はすべてを手放しで賞賛するわけではないが、いくつかの演奏は素晴らしい、と思う。なかでもやはり《ゴルトベルク変奏曲》(81年の録音)は、何度聴いても飽きない。最近は、これを聴くと必ず映画『時をかける少女』の映像が脳内にフラッシュバックしてしまうけれども……。 1955年に最初の《ゴルトベルク変奏曲》の録音でデビューした後、1964年にコンサート活動から一切手をひき、スタジオのなかに篭った……と言
会社から家に帰ってきて部屋でカル・ジェイダーを聴いていたら、彼の音楽は「夜中にひとりでなんとなく聴くFMラジオ感」みたいなものを常にまとっているなぁ、と思った。 サウンズ・アウト・バート・バカラック(紙ジャケット仕様)posted with amazlet at 08.10.21カル・ジェイダー インディペンデントレーベル (2004-10-20) 売り上げランキング: 77876 Amazon.co.jp で詳細を見る ジェイダーposted with amazlet at 08.10.21カル・ジェイダー ビクターエンタテインメント (2007-02-21) 売り上げランキング: 235192 Amazon.co.jp で詳細を見る あとものすごく顔が良いよ、顔。
あなたは牢屋に入れられたという経験をお持ちだろうか。私はと言えば、たった一度だけそのような経験がある。正確に言えば、牢屋ではなく留置所だったが。そこはとても居心地の悪い場所だった。私よりも20センチは背の高い警官(おそらく柔道2段は確実の屈強そうな男だった)に促されて入ったその場所で私は「こんなところに入れられたら悪いことをしていなくても自供をしてしまいそうだ」と思った。 警察署の建物の日当たりが悪いところに留置所は置かれていて、一面コンクリートで出来た床と壁は夏でもひんやりとしていそうに見えるのだが、コンクリート製だと思われた床と壁は、実はコンクリートではなく、一見いかにもコンクリートで来ているように見える実に精巧にできた偽コンクリートであった。感触は硬いコンクリートのそれではなく、なんだかぶよぶよしている。内部へと足を踏み入れると生肉に触れたような感覚がスニーカー越しに伝わってくるので
みんな大好き、あざけり先生台風きどり(id:azakeri、絶賛更新停止中!)がアップしているYoutube動画集が謎過ぎて、本日は秘孔を突かれてしまったような気分です。まずはid:KaKaさんの写真とid:robertoさんの音楽。これはホントに良い。「これだけギターが弾けるようになれれば……」と嫉妬の炎で体温が上がり、目の色は緑に変色しそうな勢い。こんな淀みなくギターが弾けるようになる日は一生ないだろうけれど、編集パワーを駆使していづれの日にか上手い具合にパクってやろうとおもいました。 で、ここからは謎めいた動画を紹介。音楽は以前にAGURA BOYZ JUSCO名義で発表した「ソニック・ユースっぽい感じで」というコンセプトの曲+(たぶんid:ikkiikkさんちの)猫のアグレッシヴな動画。音楽を作ったときはなんか正直「微妙かなぁ……」と思ってたけど、猫動画と一緒に再生したらなんか妙に
id:kokoroshaさんの亀田大毅が反則していないという証拠音声ファイルという名エントリに捧ぐ。 Take1 Take2
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20071017/p1では「『何か』は、何かを言っているようで、実際には何も言っていない」ということを確認した。そして「何か」が背負わなければならないリスクについても説明したつもりである。しかし、我々は「何か」を感じてしまう(そしてそれをついつい『何か』という言葉でその感覚を指示してしまう)という現象に出会う――今回はどうしてそのように「何か」を感じてしまうのか、そしてどうして「何か」で表現してしまうのか、ついて考えてみたい。 まず、ひとつめの問題に設定した「どうしてそのように『何か』を感じてしまうのか」について。このような感覚の発生は、異なりが契機となっていることを指摘できるのではあるまいか。ゆえに、その「何か」はもともと存在していたものではない。都会で生活していた人が、東北の温泉地に旅行へ出かける。旅行者は、そこで行わ
散漫なエントリを連投しておりますが、続けます。パーカッシヴなピアノ曲で思いついた曲をYoutubeで探してみました。一曲目はジョン・ケージの《プリペアド・ピアノのためのバッカナール》。プリペアド・ピアノとは、ピアノの弦にゴムやネジなどを挟み込んで、音色が準備されている――というケージによる大発明ですが、この曲はその楽器を使用した作品のなかでも傑作に数えられるものでしょう。思いっきりガムランを模写してますが、かなりダンサブル。 続いてバルトークのピアノ・ソナタ第1番。演奏するのはゾルターン・コチシュ。うわー、すげぇ老けたなぁ、この人。同じハンガリー出身のアンドラーシュ・シフと芸風が被ってて、見分けつかなかったんだけど、これなら分かる。 続いてヒナステラ(アルゼンチンの作曲家)のピアノ・ソナタ第1番より第4楽章。「アルゼンチンのバルトーク」と呼ばれているだけあって、本家に迫る異常なリズム感。
残暑がきつくて、夏でもないのになぁって/思うけれど基本的に淡々と秋が過ぎていく/通勤の時に通る土手はまだ緑色/そこに咲いていた彼岸花は赤色というかオレンジ/排気ガスのせいでくすんだ色をしてる/なんともいえない気分で遠くを見た/遠くで学生がはしゃいで歓声をあげる ずいぶん会っていないなつかしい人に/メールを返していないこと なぜか思い出した/いい意味でも悪い意味でもあまり変わらずにやっているよ/いい意味ではまあなんとか元気にやっているっていうこと/悪い意味は……(ナナナナ……)/今年はなんなく空をよく見てる たくさん携帯で写真を撮って/おもしろいと思うものをたくさん撮って/いつか一緒に見られたらいいなと思う/たぶん気に入るよ メールの返事は出さないんだろうって、よく分からない感じの確信がある(ナナナナ……) いい意味でも悪い意味でもあまり変わらずにやっているよ/そっちも元気でやっているといい
数学的方法は、思考を事物(ザッヘ)にし、また自らそう名付けるとおり、思考を道具にしてしまう。しかしながら、思考が世界に同一化するこのようなミメーシスとともに、今や事実的なものだけが唯一なものになり、神の否定でさえも、形而上学の判決に委ねられるほどになってしまった。 神話は呪術を駆逐し、近代の啓蒙は神話を退けた。それによって我々が手にしたものは、現在我々がその恩恵を受けている科学である。しかし、啓蒙が行ったことはそれだけではない。近代における啓蒙がやってのけた奇跡の源泉とは、元来我々の世界の外部に存在していたはずの理性を、我々の内部へと備え付けたことに見出せるであろう。 外部から内部へ、そこでは理性という言葉が持つ言葉の意味が大きな変化を見せている。理性とは世界を成り立たせる根本的な論理である。世界を超越していたところに存在していたはずの理性が、我々の世界において内在された世界においては、つ
イタリアの作曲家、ルチアーノ・ベリオの大問題作《シンフォニア》より第3楽章の映像(指揮はサイモン・ラトル)。この部分は、マーラーの交響曲第2番《復活》を主なパロディの対象としながら、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベートーヴェン、ドビュッシー……などの作品を細切れにして繋げたコラージュになっており、それが「作曲行為と呼べるのか」というスキャンダルを呼んでいる。 映像は、引用元となった作曲家の写真が重ねられ、音楽を解説するとものとなっているのだが、視覚的な情報量よりも多層的な音響の方がはるかに情報量が多い。ベリオを語る際のキーワードとして「創造的な編曲」というものが挙げられようが、《シンフォニア》はそれが最も激しい形で実行されたものだろう。過去の作曲家を素材として用い、また最後の作品となったプッチーニの《トゥーランドット》の補筆という仕事は「過去に存在したかもしれない(が実際には存在して
死後25年経った今も絶大な人気を誇るピアニスト、グレン・グールドが「将来的にはピアノも廃業して作曲家になりたい」と語っていたことはファンの間では有名なことかもしれない。しかし、結局彼が作曲家として名を馳せることはなく、現在実際に我々が聴くことが出来るのはファゴット・ソナタと、弦楽四重奏曲、それからこの《じゃあ、フーガが書きたいの?》の3曲のみだ(他にピアノ曲があるらしいが、録音が残されているかどうかは知らない)。 《じゃあ、フーガが書きたいの?》は1963年にテレビの教育番組用にグールドが書き下ろしたものだが、「教育用」(グールドはこの作品を5分14秒のコマーシャルだ、と言った)と言えどもよく書けたものだと思う。曲中では弦楽四重奏によって、バッハやベートーヴェン、ワーグナーの引用が、原曲とは異なった表情で差し込まれる。その上で4人の歌手は歌う。 言われたことは気にしない/言われたことは守ら
あざけり先生(id:azakeri)と新ユニット、AGURA BOYZを結成しました。上に紹介するキラーチューンは「サタデーナイト天狗」という曲。この曲を収録した12インチを4/14にプノンペンレコードからリリースする予定です(新星堂のみでの取り扱いとなります)。夏には、もちろんくん(id:mochilon)をドラムに迎え、東名阪ツアーを敢行することも決定。フジロックのグリーンステージを目指して頑張りますので応援よろしくお願いします。
『グレン・グールド 27歳の記憶』より。この映画は過去に7回ほど観ておりますが、カナダの田舎にある湖に近い自宅でバッハのパルティータ第2番1楽章を弾くこのシーンが最も好きです。使用しているピアノはチッカリング*1古いグランド・ピアノ。スタインウェイのピアノが全世界で圧倒的なシェアを持っている現在では、あまり目にしない「ピアノが調度品として扱われていた時代」の装飾が美しい楽器です。グールドはこれを残響を少なくするように調整し、チェンバロに似せた音にさせているそう。ちなみにこの演奏、CDになっている録音よりかなり速いテンポ。「鬼気迫る練習」……というか。でも楽器を練習中っていうのは本来このぐらい集中していないとダメなのだと思う。 バッハ:パルティータ 全曲posted with amazlet on 06.11.07グールド(グレン) バッハ ソニーミュージックエンタテインメント (1994/
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番posted with amazlet on 06.09.15リヒテル(スヴャトスラフ) ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 ヴィスロツキ(スタニスラフ) ラフマニノフ ウィーン交響楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) チャイコフスキー ユニバーサルクラシック (2001/10/24) 売り上げランキング: 1,925 Amazon.co.jp で詳細を見る ライヴ盤以外でスヴャトスラフ・リヒテルの演奏を選ぶとするなら、カラヤンと共演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番になるのだろう。CMなんかでもよく使用されている「どメジャーな曲」の「どメジャーな名盤」だけれど、それだけに聴く価値はある。フォルテッシモでガツーンと鍵盤を叩いたときに、鐘のように響く独特のトーンを良い録音で堪能できる録音だ。「チャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴くなら……これ!」と持
スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。 「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏
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