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逆襲のシャアに関するmotowakaのブックマーク (2)

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第460回 『逆襲のシャア』の“気分”

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』には、ある“気分”が満ちている。それは乾いており、ピリピリしたものだ。人間が愚かなものであるのを認め、苛立っている。世界が不幸で満ちているのが分かっており、憂いている。それと同時に「所詮そんなものだ」という諦観もある。そんな“気分”だ。 その“気分”は全編に溢れている。ひとつの場面も、ひとつのセリフも無駄にせず、“気分”をフィルムで表現するために使っている。その“気分”が、富野由悠季監督のパーソナルなところから生まれている事については疑いようもない。そこまで極端な事を言う人間は、ファンの中でも少ないだろうと思うけれど、僕にとって『逆襲のシャア』は、その“気分”を楽しむための映画だ。 冒頭から観てみよう。ファーストカットは月面である。次の場面はアナハイムの工場で、チェーンとアナハイムのオクトバーが話をしている。チェーンが、建造中のモビルスーツの重量が3キロ減

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』/ある“気分”が満ちて/乾いており、ピリピリ/人間が愚かなものであるのを認め、苛立って/世界が不幸で満ちているのが分かって/同時に「所詮そんなものだ」と”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第455回 「逆襲のシャア友の会」(前編)

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』も、僕にとって特別な作品だ。世間での評価は別にして、富野由悠季監督の演出家としての到達点であり、代表作だと思っている。今回は自分と、この映画の関わりについて書いておきたい。 僕は、後に『逆襲のシャア』にハマり、人にその素晴らしさを語って歩く事になるのだが、公開前にはまるで期待していなかったし、実はロードショーにも行っていない。この映画が公開されたのは、1988年3月12日。『ガンダム』シリーズとしては、総集編ではない初の劇場作品である。内容としては第1シリーズ、『機動戦士Ζガンダム』に続くものであり、アムロとシャアの最後の戦いが描かれた。同時上映は『機動戦士SDガンダム』であった。 この頃、『ガンダム』シリーズのタイトルに対しても、富野監督に対しても、業界的な期待は非常に低かった印象だ。これも印象で話す事になってしまうが、ファンも『ガンダム』シリーズに対し

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “この頃、『ガンダム』シリーズのタイトルに対しても、富野監督に対しても、業界的な期待は非常に低かった印象だ。/ファンも『ガンダム』シリーズに対して冷めていた。”
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