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  • 第66回 TVマンガが「アニメ」になった時 WEBアニメスタイル_COLUMN

    先日の細田守さんとの対談で『パンダコパンダ』について触れたので、この連載で『パンコパ』について書こうかと思った。いや、まてよ。『パンコパ』について書くなら、先に1980年代前半の「宮崎駿の評価の高まり」について説明しておいた方がいいか。いや、それについて触れるなら、アニメブームについて書いておくべきか。と、どんどん書くべき内容がさかのぼってしまった。そういったわけで、今日はアニメブームについての話だ。 1978年の劇場作品『さらば宇宙戦艦ヤマト ―愛の戦士たち―』は大ヒットを飛ばし、そこから、第1次アニメブームが巻き起こった。『さらば宇宙戦艦ヤマト』で始まったブームが、劇場『銀河鉄道999』でさらに高まり、『機動戦士ガンダム』で最高潮を迎えた。劇場作品が次々と公開され、アニメ雑誌が創刊され、ラジオで関連番組が放送され、グッズが発売され、イベントが開催された。武道館を使ったイベントまであった

    motowaka
    motowaka 2018/03/28
    思春期にブームを体験した僕達は、アニメブーム・ストライクの世代だ。こういう話をすると、若い読者は「オジサンが昔の事を自慢している」と思うかもしれない。だけど、それは構わない。もっと自慢したいくらいだ。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第471回 大人にならなかったニュータイプ

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』についての原稿は、今回で終わりだ。振り返ってみて改めて思ったが、やはり大変な作品だ。情報量が凄まじい。作り込めるだけ作り込んでいる。ここまでに触れたように、登場人物への踏み込みがとてつもなく深い。ドラマとしては刺激的であるし偏ったものであるかもしれないが、主張している事に説得力がある。 ただ、万人向けの作品ではない。ロボットアクションに魅力があるので、誰でもある程度は楽しむ事ができるだろうが、この作品のドラマや気分に浸れる人は、決して多くはない。また、作り手が伝えようとした事が、必ずしも観客に伝わっていないだろうとも思う。同人誌「逆襲のシャア友の会」を作った頃に、色々な人とこの映画について話をした。その時に、かなりのアニメ好きであっても、この作品のよさを理解できない人がいる事がいることが分かった。「理解できない」と書くと、まるで能力的に劣っていると言ってい

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “2人が10数年前に出逢った少女に固執し続けるのも、僕達がいい年をしてアニメに固執し続けている事の比喩かもしれない。富野監督の年齢なら、僕達がそう見えてもおかしくない。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第470回 シャアの「ララァが母に……」発言

    シャアとアムロの会話は続く。「それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」というシャアの発言に対して、アムロが「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい!」と突っ込み、それにシャアが「ララァ・スンは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えた事か!」と応える。この発言にはアムロも驚く。「お母さん? ララァが!?  うわっ!」。彼が「うわっ!」と驚いたのは、νガンダムのコクピットが光で包まれたためだ。次のカットを見ると、νガンダムが爆発したわけではないのが分かる。シャアとアムロの精神が、サイコフレームの光と共に、宇宙の彼方へ飛び去っていったように見える。ここでシャアとアムロの会話は終了だ。ナナイの反応から察すると、ここでシャアは死んだのだろう。ならば、アムロも一緒に命を落としているはずだ。その後、アクシズは地球から離れて、地球の人々がアクシズの光を

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “皮肉にも“サイコフレームの奇跡”が起きている時に、またひとつの人と人の断絶が描かれた。そして、アムロという男が人生の最後に感じたのが、ライバルがそんな事を思っていたのか、という驚きだった”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第468回 サイコフレームの奇跡

    『逆襲のシャア』クライマックスでサイコフレームが起こした奇跡に関して、どのように受け止めればいいのか分からなかった人が多かったはずだ。“サイコフレームの奇跡”というのは、前回触れた現象の事だ。ひとつは敵のモビルスーツまでがアクシズを持ち上げるのに協力をした事であり、もうひとつがサイコフレームの力によってアクシズが針路を変えて、地球が救われた事である。どう受け止めたらいいのか分からないのは、何が起きたのか理解しづらいというのもあるし、その展開に違和感があったからでもあるはずだ。 それまでの展開と“サイコフレームの奇跡”にはギャップがあった。クライマックス直前まで、この映画はドライなタッチで、ギスギスした人間関係や、それから生じる悲劇ばかりを描いてきた。人間というのは愚かで、救われない存在である事を観客に伝えるために話を進めてきたようなものなのに、クライマックスで、敵のパイロットまでが地球を救

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “説得力のあるものとして“救い”を描く事はできるが、それをやっても嘘になるだけだ。だったら、説得力のない、まるで絵空事のような奇跡として描いてやろう。そう考えたのではないか。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第243回 『機動戦士Zガンダム』続きの続き

    『機動戦士Zガンダム』を尖鋭的な作品と評していいのかどうかは、いまだに僕には分からない。ただ、尖った作品を目指していたのは間違いないだろう。尖ったキャラクターと尖った語り口で作品を作る。先鋭的にする事で『機動戦士ガンダム』第1作を越えようとしたのだろう。 そして、『Zガンダム』は、富野由悠季監督がフィルムの全てを自分のカラーで染めようとした作品だろうとも思う。これは裏を取ったわけではなく、あくまでフィルムを観て、僕が抱いた印象だ。第1作も監督のカラーが強い作品だが、まだ、他のスタッフの個性や考えが入っているように思う。『Zガンダム』は、後述するようにそれをやりきれているわけではないが、富野カラーで全編を作ろうとしているように感じる。繰り返しになるが、これは僕の印象だ。 放映中に『Zガンダム』に馴染めなかったのにも関わらず、全否定できなかったのは、それが「作家の作品」だったからだ。面白い作

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “『Zガンダム』でやりたかったのも『逆襲のシャア』と同じような生々しい人間描写であったり、ペシミスティックな/キャラクターの痛みを、視聴者が自分自身の痛みのように感じるドラマをやりたかったのだろう。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第462回 クェス・パラヤ

    『機動戦士ガンダム』第1作と『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の違いは、まず、前者が若者の物語であったのに対して、後者が大人の物語である点だ。前者には、思春期的な初々しさや柔らかさもあった。『ガンダム』第1作では愚かな戦争を描いていても、ニュータイプになる事で、いつかは人類が革新され、よき存在へと変わっていくのではないかという希望もあったが、『逆襲のシャア』にはそういった希望は薄い。むしろ、ニュータイプになっても人は愚かであり続けると語るのが『逆襲のシャア』だ。だから、同じ世界を舞台にして、同じ主人公が登場しても、まるで違った作品である。『機動戦士Zガンダム』もニュータイプの不幸を描いていたが、『逆襲のシャア』の方がより分かりやすいかたちで、描ききっているはずだ。 『逆襲のシャア』公開時から、ファンの間でクェス・パラヤは評判がよくなかったようだ。「あのキャラクターさえいなければ」といった発

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “「どうして、富野さんの作品には、可愛くてキャピキャピした女の子が出てこないんですか」/「好きじゃないからです」/彼の作風に合わないというのもあるのだろうが、要は意志の強い女性が好きなのだろう。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第460回 『逆襲のシャア』の“気分”

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』には、ある“気分”が満ちている。それは乾いており、ピリピリしたものだ。人間が愚かなものであるのを認め、苛立っている。世界が不幸で満ちているのが分かっており、憂いている。それと同時に「所詮そんなものだ」という諦観もある。そんな“気分”だ。 その“気分”は全編に溢れている。ひとつの場面も、ひとつのセリフも無駄にせず、“気分”をフィルムで表現するために使っている。その“気分”が、富野由悠季監督のパーソナルなところから生まれている事については疑いようもない。そこまで極端な事を言う人間は、ファンの中でも少ないだろうと思うけれど、僕にとって『逆襲のシャア』は、その“気分”を楽しむための映画だ。 冒頭から観てみよう。ファーストカットは月面である。次の場面はアナハイムの工場で、チェーンとアナハイムのオクトバーが話をしている。チェーンが、建造中のモビルスーツの重量が3キロ減

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』/ある“気分”が満ちて/乾いており、ピリピリ/人間が愚かなものであるのを認め、苛立って/世界が不幸で満ちているのが分かって/同時に「所詮そんなものだ」と”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第459回 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

    前回までで、自分の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』体験について書いた。前後するが、今回から改めて『逆襲のシャア』という作品について書きたい。『逆襲のシャア』は1988年3月12日に公開された劇場作品。内容としては『機動戦士ガンダム』第1シリーズ、『機動戦士Ζガンダム』に続くものであり、アムロとシャアの最後の戦いが描かれた。同時上映は『機動戦士SDガンダム』であった。 第1シリーズの主人公であったアムロ・レイ(声/古谷徹)と、その宿敵だったシャア・アズナブル(池田秀一)の決着が描かれる。劇中で年齢には触れられていないが、設定的にはTVシリーズで15歳だったアムロ・レイがこの映画で29歳。20歳だったシャア・アズナブルが34歳になっている。シャアは、ネオ・ジオンの総帥として、地球に残った人類を粛正するために、地球に小惑星アクシズを落とそうとする。アクシズが地球に落ちれば、核の冬と同じ規模の被

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “人類の粛正などという大変な事をしようとしている人間が、実はかつて死んだ少女にこだわり、その思慕の念で動いていた事が、最後の最後に分かる。『逆襲のシャア』というのはそういう映画だ。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第458回 「逆襲のシャア友の会」(完結編)

    アニメージュで富野イズムについての特集をしてからも、僕は『逆襲のシャア』について考えたり、人と話したりしていた。何かにつけてこの作品を話題にするので「また小黒さんの『逆襲のシャア』が始まったよ」なんて言われた事もあった。一連の『逆襲のシャア』についての活動で、ピークになったのが同人誌「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア友の会」だった。これは1993年の年末に刊行したで、庵野秀明さんと一緒に作った。実は、このはもう僕の手元にはない。2、3冊持っていたのだが、読みたがっていた友人に貸したっきり、もう10年以上戻ってきていない。返してもらえばいいのだけれど、誰に貸したのか思い出せない。放っておいても返ってくるかと思っていたら、結局返ってこなかった。このコラムを読んだ小黒の友人で「逆襲のシャア友の会」を借りた覚えがある人は、怒らないから戻してもらいたい。 を持っている人に確認してもらったのだが、

    motowaka
    motowaka 2018/03/11
    “『Vガンダム』放映中も、まだまだ富野監督作品に対して、業界やファンは冷めていた。富野監督に限らず、アニメ界があまり作家を必要としていない時代であったのかもしれない。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第457回 「逆襲のシャア友の会」(後編)

    アニメージュ1991年4月号(vol.154)の『機動戦士ガンダムF91』特集は自分にとって力の入った仕事だった。富野作品の素晴らしさを世に示したかったし、自分の中で富野作品に決着をつけたかった。前回も触れたように特集は4部構成で、PART1は編の画を使って『F91』の紹介。PART2「THE富野イズム それは『ガンダム』における娯楽である」は、富野監督の作家性に突っ込んでいくインタビューだ。このパートではそれまでの富野作品の名場面も掲載。その写真選びは自慢できるくらいに頑張った。PART3「それぞれの視点で8人が語る富野イズム」では、押井守、田中芳樹、会川昇、星山博之、今川泰宏、高橋良輔、遠藤明範、ゆうきまさみといった方達に、富野監督と作品に語っていただいた。PART4「そして『F91』の富野イズム」では、『F91』の絵コンテから富野監督のカラーが濃い部分を抜粋し、それを解説。要するに

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    motowaka 2018/03/11
    “キャラクターのドラマとロボットの戦闘が拮抗するのところに『ガンダム』(=富野監督が手がけるロボットアニメ)の娯楽の構造がある。”
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第455回 「逆襲のシャア友の会」(前編)

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』も、僕にとって特別な作品だ。世間での評価は別にして、富野由悠季監督の演出家としての到達点であり、代表作だと思っている。今回は自分と、この映画の関わりについて書いておきたい。 僕は、後に『逆襲のシャア』にハマり、人にその素晴らしさを語って歩く事になるのだが、公開前にはまるで期待していなかったし、実はロードショーにも行っていない。この映画が公開されたのは、1988年3月12日。『ガンダム』シリーズとしては、総集編ではない初の劇場作品である。内容としては第1シリーズ、『機動戦士Ζガンダム』に続くものであり、アムロとシャアの最後の戦いが描かれた。同時上映は『機動戦士SDガンダム』であった。 この頃、『ガンダム』シリーズのタイトルに対しても、富野監督に対しても、業界的な期待は非常に低かった印象だ。これも印象で話す事になってしまうが、ファンも『ガンダム』シリーズに対し

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    motowaka 2018/03/11
    “この頃、『ガンダム』シリーズのタイトルに対しても、富野監督に対しても、業界的な期待は非常に低かった印象だ。/ファンも『ガンダム』シリーズに対して冷めていた。”
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