『F91』はひとつの「映画」として見事に完結したと思っている。 「大きな事態」ではコスモ・バビロニアの勝利に終わる。しかしシーブックとセシリーの物語は一息ついてしまった。これ以上なにを語ればいいというのか。 「大きな事態」を描きたがる富野であれば、これから主人公たちの反攻がはじまるという構想を練っていたのかもしれないが、それはもはや物語ではなくストーリーだ。 『F91』が物語を復活させることに成功したのは、「大きな事態」を遠景に、「避難する若者たち」を近景においたことだ。 このパースペクティブ、奥行きが、作品に物語をもたらす。初代ガンダムを思い出して欲しい。「大きな事態」にガンダムは絡んでいないのだ。「大きな事態」を遠景に、「戦争に巻き込まれた若者たち」を近景においていた。 『F91』の続編構想が頓挫したことは、俺にとって、僥倖であった。見事に完結した「映画」の続編を観せられるほど哀しいも