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ブックマーク / shiwasu5.blog12.fc2.com (3)

  • 『機動戦士ガンダムF91』について 7/7 監督のちから、原作者の思い | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    『F91』はひとつの「映画」として見事に完結したと思っている。 「大きな事態」ではコスモ・バビロニアの勝利に終わる。しかしシーブックとセシリーの物語は一息ついてしまった。これ以上なにを語ればいいというのか。 「大きな事態」を描きたがる富野であれば、これから主人公たちの反攻がはじまるという構想を練っていたのかもしれないが、それはもはや物語ではなくストーリーだ。 『F91』が物語を復活させることに成功したのは、「大きな事態」を遠景に、「避難する若者たち」を近景においたことだ。 このパースペクティブ、奥行きが、作品に物語をもたらす。初代ガンダムを思い出して欲しい。「大きな事態」にガンダムは絡んでいないのだ。「大きな事態」を遠景に、「戦争に巻き込まれた若者たち」を近景においていた。 『F91』の続編構想が頓挫したことは、俺にとって、僥倖であった。見事に完結した「映画」の続編を観せられるほど哀しいも

    motowaka
    motowaka 2017/05/07
  • 『ガンダム Gのレコンギスタ』を第25話まで観た | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    人類は民主主義より資主義を選んだ、というのが中共の経済的発展の意味するところである。 そんな資主義の原理主義者である先進国が民主化がどうのと他国を批判するほど無惨なものはない。 エネルギー問題も同様である。先進文明の恩恵にあずかりながら江戸時代がどうのというのは噴飯物以外のなにものでもない。 罪を意識すること、自身の加害性、愚昧性を意識することができないのが、人類の宿痾なのかもしれない。 『G-レコ』の世界は後終末のそれだ。異世界SFではよくある設定である。 しかし特異なのは、現代世界が抱える諸問題を“一応は解決した”というコンセプトの世界であるという点である。 そこにはSF的な驚異感のかわりに、現代社会の諸問題を解決した日常が描かれる。その日常が平穏なものでなければならないのはそのためである。 とはいえ、そこは富野ワールドである。平穏で心安らぐ日常世界にもさまざまな問題があることが描

    motowaka
    motowaka 2015/04/10
  • ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ 『伝説巨神イデオン』について 1/3 遅れてきた男

    富野由悠季の代表作を一作だけあげろ、といわれたら、世間的にはもちろん『機動戦士ガンダム』なんだろうが、俺の感じるところでは、作家論的には『伝説巨神イデオン』、作品論的には『ターンエー』あたりになるような気がする。 『イデオン』はそれほど富野の作家性が色濃い作品である。富野の限界、欠点がそれだけわかりやすく表出もされてもいる。そういう点でも富野語りに欠かせない作品だろう。 富野由悠季は来「遅れてきた男」だ。 『アトム』からキャリアを積んでいる男だが、新しい何かをはじめたということはなかった。ロボットアニメでいえば、タツノコがフォーマットを準備し、永井豪がヒーローロボットをぶちこみ、長浜忠夫が完成させた。 そこに現れたのが富野由悠季である。彼は何をしたのか。フォーマットの拡張か、バージョンアップか。いやそうした“伝統”に貢献することはしなかった。 富野がしたのは、フォーマットの自己批評である

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