新大阪駅からの行き先が決まったわれわれ #タニタ式どうでしょう https://t.co/LsTyrR02Or
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週末は時間をやりくりして、会場のとある平和財団に足を向けておりました。愛すべき巣鴨プリズンも懐が広いですね。 で、某有識者会合でちょっと不思議な報告内容があって首をひねる一方、関係先から山中伸弥さんの話がたくさん出てきました。それもあって、産経新聞には山中伸弥さんのiPS細胞研究所の備蓄事業打ち切り通告の話を書きまして、文春でも触れようかなあと思っているんですけれども、私個人としては、山中さん個人の問題や、再生医療における日本の取り組み(と残念な途中経過)とは別に、助成されている金額そのものが不足していて、科研費の使い方の柔軟性が失われ、また受け皿となる日本の大学や研究所の体制が研究者にとって不安定すぎて、山中さんのような著名で実績のある人物でも研究環境を安定させられないのか、という問題に直結すると思うんですよ。 【新聞に喝!】投資家・山本一郎 iPS備蓄「打ち切り」 研究現場の困窮に目を
田中角榮らからは出遅れた中曽根 知られるように中曽根は田中角栄元首相(1993年没)と同い年で、そのうえ同期当選でもある。初当選のとき、まだ自由民主党は存在せず、ふたりは民主党に所属した。程なくして田中は自由党に移り、中曽根はその自由党を批判する急先鋒となる。自由党は吉田茂の政党で、軽武装・経済優先の政党であり、対して中曽根は自主憲法・再軍備を主張し、自由党と民主党が合併する「保守合同」にも反対したという。 中曽根と同期当選だった田中角栄 ©︎文藝春秋 自民党が結党されると、田中は30代で大臣、40代で党幹事長と、異様な速さで出世していく。いっぽうで中曽根は傍流に身をおき、自分の派閥を持つようになりはするが、とはいえ「三角大福」(三木・角栄・大平・福田)からは出遅れた存在であった。後年、中曽根はライバルとして田中の名を挙げたというが(注1)、田中にすれば福田赳夫がライバルであり、中曽根は格
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