この本の内容 61年ぶりに実施されたプロ編入試験をみごとに突破してプロ棋士となった瀬川昌司。35歳のサラリーマンはなぜプロになることができたのか。将棋を愛する人々の知られざる奮闘記。 著者 古田 靖 (フルタ ヤスシ) 1969年愛知県生まれ。書籍、雑誌、ウェブなどに幅広いジャンルの記事を取材、執筆する。著書に『アホウドリの糞でできた国』『新企画は宇宙旅行!』など。後藤元気編「将棋エッセイコレクション」(ちくま文庫)にコラムを執筆。 この本の感想をお寄せください 本書をお読みになったご意見・ご感想などをお気軽にお寄せください。 投稿された内容は、弊社ホームページや新聞・雑誌広告などに掲載させていただくことがございます。 ※は必須項目です。恐縮ですが、必ずご記入をお願いいたします。 ※こちらにお送り頂いたご質問やご要望などに関しましては、お返事することができません。 あしからず、ご了承くださ
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2006年2月 第32期女流名人位戦で、清水市代女流三冠に3対0のストレートで勝利し、女流名人位戦初挑戦にてタイトルを奪取した矢内理絵子。対局前の清水女流三冠との通算対戦成績は7勝30敗と、数字上では圧倒的に不利な上、昨年の倉敷藤花、2年前の女流王位ではストレート負けしていた。いったい勝利の女神は、今回どのように矢内理絵子に微笑んだのか? ひたむきで努力家の彼女の軌跡に迫るインタビュー。(全4部構成) ――この度は女流名人位戦(*1)のタイトル獲得、本当におめでとうございます。 矢内 ありがとうございます。 ――まずは率直な感想をお聞きしたいのですが。 矢内 まだ実感がわかないんですけれども、やはり周りの方々に「おめでとう」とお祝いの言葉をいただいて、すごく嬉しいです。 ――以前に「女流名人は一つの大きな目標」だとおっしゃっていましたね。 矢内 そうですね。他の棋戦では予選を勝ち、本戦で勝
読んだ本や指将棋・詰将棋について書いてます。倶楽部24は最高2700点くらい。平成20年度看寿賞(長編賞)を受賞。詰パラ大学院の担当やってました。 短編詳解第4回は関口格氏作の7手詰です。初手はとりあえず銀を動かすしかなさそうですが、どこに動かしましょうか? しかし、少し考えてみると、銀の移動場所は64以外ありえないことがわかります。何故なら64以外の移動場所―すなわち開き王手だと64歩合くらいで後続がないからです。対する応手は1通りしかないので必然的に46玉と決まります。 さて、図では47と57への逃走が見えています。57玉には58竜があるのでこちらはあまり警戒する必要がないのですが、問題は47玉。この場合にも58竜という手段はありますが、しかしながらこちらは91の角道が通っていないと詰みません。これらを考えると、次の手は銀を63・53・75のどこかに動かすことになりそうです。 試しに6
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉[3]、1931年〈昭和6年〉[4][5]4月11日[1][6][7] - 2021年〈令和3年〉9月30日[8])は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。日本作編曲家協会(JCAA)常任理事[5]、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事[9]、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。位階は従四位。 1931年、東京府[4][5]東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ[10]、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物
2006.03.08 私のブログを囲碁よろしく選手権。 (8) テーマ:囲碁全般(745) カテゴリ:囲碁 私のブログを 囲碁よろしく選手権 ****************** 開催決定!! みなさん、お待たせいたしました! 去年の秋、osama先生とnipparatさんの戦いから端を発し、噂だけで盛り上がるだけ盛り上がったあの「私のブログを囲碁よろしく選手権」が、開催されることが決定いたしましたっ! …………って、忘れてません(^^;)ゞ??? もう記憶の彼方に飛んでいっちゃってません??? 大丈夫かなぁ~~(汗 紆余曲折、いろいろありーの、なんだかかんだか、あれこれあったことは、この催しの主要人物ナゾさんに『苦労話&裏話』としてblogで語っていただくことにして、『玉藻』ではまずその概要と、開催期間などをインフォメーションいたしたいと思います! ただし、まだ流動的な部分もありますので
1898 萬朝報・時事新報 臨時掲載開始 (朝日・毎日) 1908 萬朝報 新聞棋戦開始 1925 ラジオ本放送開始 [普及期] 1927 読売報知「全八段戦」(正力読売1924成立) 1935 東京日日新聞=毎日「名人戦」(中島) 1934 ラジオ将棋 1948 NHK第二放送 将棋の時間 1950 近将、詰パラ、創刊 1951 NHKラジオ NHK杯開始 [安定期] 1953 テレビ放映開始 1960 カラーテレビ本放送 1962 女性教室開始(講師 橋爪敏太郎六段・蛸島彰子奨励会員) 1962 NHK杯 テレビ放映開始 1964 東京オリンピック 1966 蛸島彰子女流初段 「将棋を義務教育に」 1968 女流アマ名人戦 [転換期] 1971 谷川浩司現る 日中象棋協会 1972 中原 誠、名人位獲得 1973 オイルショック 1974 女流名人戦開始、棋王戦(最後のタイトル戦)開始
金曜日は連盟で女流棋士会(会議)とVSを掛け持ち。 今回は今後の女流棋界を占うキッカケ意味でもけっこう重要な議題だったのだが、思ってたより出席者が少なかった。 どーも女流棋士には将棋界や将棋全般に関心が薄い人がまだまだいるように感じ、残念に思う。 VSのあとNHK杯戦予選の女流代表決定戦を見る。いつかはNHK杯に出たいのは言うまでもない夢。結果は現司会者の方が今度は対局者に転向されることになった。 昨日は駒込将棋教室。 こども教室に来てるトオル君がこっちにも入会してくれました。 I三段も助手として初参加して、みなさんには各3局以上指してもらえた。 でもちょっとハードだったかも 早くもアットホームな雰囲気でこちらもたっぷり楽しんでいる。 今日はVSーM氏。教室主催者の鵜川さんに用があってM氏共々お世話になる。 研究の途中お腹が空いたということになり、急遽鵜川さんがお手製のラーメンを作ってくれ
根強く続く匿名vs実名論争。時を経るごとに議論が深まっている部分もあるが、むなしく繰り返される対立の構図もある。むなしい部分を減らすための、シンプルな提案。 議論になりそうな内容を書く実名ブロガーは、目立つところに「匿名で行われる批判に対するポリシー」を示しておいてはどうか。 設定するポリシーの類型は、主に3通りある。 1.黒木ポリシー 実名を名乗っていない人であっても、固定的な仮名を名乗り、まとまったネット上の人格を表現している場合は、公開している情報量に応じて、実名の人や他の固定的な仮名の人を批判できる。「黒木ルール」として有名。(「匿名」による批判の禁止ルールについて) 2.津村ポリシー 実名を名乗っていない人を批判しない。実名を名乗っていない人から批判されても反論しない。(匿名のかたへの批判・反論はしません) 3.三中ポリシー 実名を名乗っていない者は石ころと同じ。〈石〉がそこにあ
ビットコインは仮想通貨として知名度が高いですが、その他にも様々な仮想通貨があることをご存知ですか? そのなかの一つモナーコインは、2ch掲示板より生まれました。ですので、そのキャラクターもあの有名なアスキーアートの可愛らしい猫ちゃんのキャラクターなんです。 「オマエモナー」と発言する猫ちゃんです。そして、これは日本発の一番最初の仮想通通貨と言われています。 2chサイトを愛用してい方やインターネットの情報に詳しい方にその保有者が多いようです。 このコインはビットコインのように暗号化されていて、採掘もできます。また、モナーコインは、ビットコインと同様に専用の取引所で取引することができます。 それから、モナーコインの面白いところは、ゲーム感覚で出来るところです。これは、コインを採掘する以外にゲーム感覚で入手できる方法があります。 例えば、ゲームで稼いだり、オークションで稼いだり、懸賞サイトに応
黒121は白からの先手はねつぎをふせぐ利かしで、この手に白が反発すると上辺の白石は死んでしまうので、121は異常ではなく好手です。また、黒から白の右辺の石を追い落とす手があったのですが、白130はそれを見逃してしまい敗着となったようです。130手くらいでは、まだまだ戦いが残っている段階ですので、それ以前の地合の大小だけでは勝敗が決しているということはないと思うのですが。(手持ちのビデオ参照) この回答への補足 回答ありがとうございました。 黒121を見て秀哉名人が当初腹を立てたのは、所謂NHK杯などでよくある、時間つなぎの手(相手の応手が絶対必要な手)であり、封じ手としては汚い手と思ったからです。 当時多くの棋士もそう思ったようです。 当時この碁の解説をした呉清源はこの手は意味があると言ったし、後に名人も認めているようです。 それは白のはねつぎが先にあってから黒121では白は実戦の8-2で
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