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ブックマーク / blog.nay3.net (2)

  • 子供への接し方を変えてみた - いつの日か霧が晴れて

    子供の教育 前記事 怒る習慣はどこから来た? - いつの日か霧が晴れて で書いたように、私は「怒るほうが都合が良ければ、怒ることを気に入る」という仮説に辿り着いた。そこで、私はこの仮説を、自分にとってのもう一つの重要課題である、子供の教育に役立てようと考えた。 娘は4歳になるが、よく怒る。怒るときのパワーは非常に激しい。2歳くらいにはそういう傾向がはっきりしていたので、ある程度、子供の生まれついての性質というものも否定できないとは思っている(これは自分についても言える)。ただ、私の実家では、怒りっぽさはすべて生まれついての性質だとして怒りについて教育を施すという観点が希薄だったが、私は今は教育ということに可能性を見いだしている。 勇気づけと「怒り」 アドラー心理学では、子供に対して*1「勇気づけ」を行うことが推奨される。これは、(子供が自立した大人になるにあたって)望ましくない状況の背景に

    子供への接し方を変えてみた - いつの日か霧が晴れて
    mrkn
    mrkn 2017/04/06
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  • 「怒り」の探求 - いつの日か霧が晴れて

    怒りやすい自分 世間一般の基準でいえば、私は怒りやすい性質だと思う。 幼い頃、両親に面白そうに「瞬間湯沸かし器ね」と揶揄されたのを覚えている。*1 幼稚園、小学校とステージが変わるごとに昔の友達に「穏やかになったね」と言われていたことも覚えている。 こういうことについて、大学くらいまでは、単なる個性としてそこまで気にも留めていなかった。家族と同じ程度の怒りん坊だったし、むしろ、成長してからは家族の中では比較的怒らないほうに分類できるくらいになったので、特に気にすることはなかった。 怒りの家 私の生まれ育った家では、夕前になると、たいてい母や子供たちの誰かが怒っていた。それも毎日。 別に、虐待などの問題があったというわけではまったくない。良識ある両親、そこそこ自由な教育方針。わたし自身は生まれ育った家を懐かしく感じるし、愛情も、感謝もある。 しかしながら、とにかく夕前になると、誰も怒らな

    「怒り」の探求 - いつの日か霧が晴れて
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