ちいさな幸せをだいじにしている。判で押したような生活、そんなふうな形容がぴしゃりと吻合する。でも、それでよいのだとおもう。 しかし、世上万般すべてがオッケーオッケー、ってぐあいにはいかない。ときとしてトラブルが襲い掛かり、そんなできごとに人は疲弊し、疲弊は精神の毒素となり、なんとかデトックスしても、澱となったそれは腹のそこに蓄積し、発狂して、結果、死ぬ。 そうならないために、とても肝心なのは、やはり、一日のスタートではないかな、とおもう。おもうがゆえに、その一日のスタートは敢為の心をもって、毎日おなじ動作、リズム、呼吸で行おう、と決めている。 タイトルにも書いたが、着替えはまず靴下から、と決めている。しかも右。たとえ拙宅の三歳児が「ぱぱ、おきがえ、はい、どうぞ」とワイシャツを手渡して呉れたとしても、「ありがとう」と一言添え、心を無にしてからワイシャツは投げ捨て、靴下をまず履く。 この右から