2013年3月7日のブックマーク (4件)

  • 強姦、ミステリ、そして倫理。―『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI』 - 脳髄にアイスピック

    今から約一年ほど前にHJ文庫大賞にて『せんせいは何故女子中学生にちんちんをぶちこみ続けるのか?』という作品が奨励賞を受賞したとき、僕は大いに落胆したものだ。 「一見過激そうなタイトルをつけてはいるものの、どうせそれは単なる言葉遊びで、問題作と謳いながらも結局内容は毒にも薬にもならないラブコメなんだろう? そういうのはもううんざりなんだよ」 それから一年の時が流れ、とうとうその問題作が発売された。流石にタイトルは変更されたものの、これはこれでろくでもないタイトルである。「こんなろくでもないタイトルをつけて、いったい中身はどんなもんなんだろうね」と手に取ってみたら主人公が当に強姦魔で、物語開始時点ですでに中学生たちを強姦していた…………ああ、こういうの有りなんだ。ごめん、舐めてた。 この記事の人みたいにぜってーブラフだと思ってたわー。いやいやいやってか強姦魔って。あれかな? HJ編集部はGA

    強姦、ミステリ、そして倫理。―『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI』 - 脳髄にアイスピック
    msio
    msio 2013/03/07
    音楽、ゲーム、食品も「市場がダメになるまで全ての競争手段を投入する」という形式が好きな日本で、市場監督がそろそろ提案されてもいい頃合いかと思います。あと本に含まれる表現を成分表みたく付与も欲しい。
  • ネットセックスとコンプレックス

    僕にはネットセックスに対してのコンプレックスがあった。 このままネット経由でしかセックスできないのではないだろうか、リアルの知り合いからセックスに至るまでの関係を築くことは不可能なのではないかという、自分の人間性、社会性に対しての不安。 それはひとえに、ネットではあまりにも簡単にセックスが出来ることが所以だった。 ネットを使えば簡単にセックスできるというのは、モテない人間にとってはある種、革命のようなもんだ。 なんたって、今までセックスの機会に巡り合うことさえできなかったのが、今や画面の前に無限に広がっているのだから。別にお金を払う必要もなく、出会い系サイトも使わなくていい。SNSでもゲームでもブラウザ上でもどこでもセックスチャンスは広がっている。 これは、、、当はネットに限らずリアルでも同じことが言える。当はリアルにだってそういうチャンスに溢れている。そして、そういうチャンスを一般の

    ネットセックスとコンプレックス
    msio
    msio 2013/03/07
    セックスは手段であって社会生活のご褒美に位置したものが商品化し目的になりグッズや情報も波及して、末は人がセックス自体になるかマトリックスに封入されるまで、供給者は手を弛めないと思うので心配は不要かと。
  • 【グロテスク】「奇跡の一本松」の復元、完全にホラー - 世界はあなたのもの。

    新聞2013年3月6日の日経夕刊14面、東日大震災の津波に耐えた(ことになっている)岩手県陸前高田市の「奇跡の一松」の復元について。いままで全く興味がなかったので気にしていなかったのだが、こんなことになってんのか……。これは現代のホラーだわ。 ……特殊な樹脂を使って再現した枝葉のレプリカを幹に取り付ける作業が6日、始まった。……作業員約20人が高さ7.7メートル、重さ1.4トンのレプリカをクレーンでつり下げ……枝の角度などを調整、松の周りに組み立てられた足場を撤去した上で、市は22日に完成式典を開いて一般公開する。 肝心の部分というか、関係者全員が心の中では思っているがその場の雰囲気もあって絶対に口にできない事実を抱きしめながら、樹脂で枝葉のレプリカを作ったり、クレーンで引き上げたり、そして記念式典を開いたりする感じが、つらい。 それで勇気づけられる人がいるなら、それはそれで素晴らしい

    msio
    msio 2013/03/07
    案としては「新しく若い木を植えてともに育っていく」というのもあったかもしれないですが往々にして「これじゃいけない」と後で気づく的展開なので、そういうメッセージ性のものかもという理解もありかと思います。
  • 「遺族に実名公表を拒否する権利はない」というマスコミの主張は正しい - 長椅子と本棚2

    タイトルの真意は、「遺族に実名公表を拒否する権利があるか否か」という問題と、「報道機関は情報を集めるためにどんな手段に訴えてもよいのか」という問題とは全く別の問題だ、ということである。この二つを区別しないと、おかしなことになる。 何も私は一方的にマスコミを擁護しようとするのではない。しかしながら、上のことが理解されなければ、正しくマスコミを非難することができなくなる。それは結局、マスコミが犯した誤りを曖昧にし、言い逃れを可能にすることにつながってしまう。 何の話をしているかというと、以下の二つの記事の話である。 (cache) 朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」 - ニュース 傲慢の見のような記事 - 新小児科医のつぶやき 二番目の、朝日新聞のコメントを非難するid:Yosyan氏の記事の中の、以下の箇所は誤解に基づいているように思う。 宮川委員 遺

    「遺族に実名公表を拒否する権利はない」というマスコミの主張は正しい - 長椅子と本棚2
    msio
    msio 2013/03/07
    嘘は手段であって目的は「炎上エントリで注目数を稼ぐ」と思われる昨今の報道を見て思うのは、マスコミに燃料に火を付けさせない流れがあっても良いかと。報道された実名は「報道の凄さ」以外を報道したでしょうか。