前述の通り私としてはApeman氏の私に対する批判というのがおおかた誤読に基づくものであると主張したいわけであるが、もちろん第一に読者には「誤読」する権利というのがあり、というか言明の意味は受け手の決めるものであって筆者もまた読者の一人としてしかその意味形成には参画し得ないわけである。ただまあ、その「誤読」にどの程度つきあうかの自由というのも筆者を含む他の読者たちにはあるのであって、たとえばこのブログをどこかのひみつけっしゃの暗号文だと解釈する読者というのはいるかもしれないし、彼から熱烈な支持のコメントがくる可能性というのもあるわけだが、それに対して私ができるのはせいぜい「いやがんばってくださいね」とか微笑んでみせることだろう。 第二にもちろん私はいったん書いたあとやべえと思って何とか別様の解釈の可能性を持ち出して言いつくろっている、のかもしれない。どちらにせよ最終的な判断は(未来の存在も