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ブックマーク / www.axis-cafe.net (3)

  • on reversibility - おおやにき

    結果が気に入らないからといって「中立」となっている機関の決定に文句を付けはじめるとどういう結果になるか、という問題に関する卓抜な一例について。 2005年4月7日、日の町村信孝外相は向かい合って座った潘基文(バン・キムン)韓国外交部長官から激しく抗議を受けた。当時、扶桑社の中学校歴史・公民教科書の独島(ドクト、日名・竹島)関連部分が検定の結果、「韓国が不法占拠している竹島」という表現で記述されたからだ。 また「従軍慰安婦」表記はすべての教科書から消えた。 町村外相は潘長官の追及に「日の教科書検定過程は韓国と違う。 一連の過程を経た個別の記述については、政府が削除や修正を要求したり修正したりすることはできない」と言って対抗した。(……)専門家で構成された教科書検定調査審議会が下した判断に政治は介入できない、というのが主な内容だった。(……) 2007年10月1日、日政府の町村官房長官

    mstil
    mstil 2007/11/02
    今更ながら、話の発端として。
  • on objectivity - おおやにき

    前述の通り私としてはApeman氏の私に対する批判というのがおおかた誤読に基づくものであると主張したいわけであるが、もちろん第一に読者には「誤読」する権利というのがあり、というか言明の意味は受け手の決めるものであって筆者もまた読者の一人としてしかその意味形成には参画し得ないわけである。ただまあ、その「誤読」にどの程度つきあうかの自由というのも筆者を含む他の読者たちにはあるのであって、たとえばこのブログをどこかのひみつけっしゃの暗号文だと解釈する読者というのはいるかもしれないし、彼から熱烈な支持のコメントがくる可能性というのもあるわけだが、それに対して私ができるのはせいぜい「いやがんばってくださいね」とか微笑んでみせることだろう。 第二にもちろん私はいったん書いたあとやべえと思って何とか別様の解釈の可能性を持ち出して言いつくろっている、のかもしれない。どちらにせよ最終的な判断は(未来の存在も

    mstil
    mstil 2007/10/24
    結局、「『中立』機関には文句つけてもいいんだよ」でFA? >「攻撃目標地点に私はいない」ということを必死に主張する姿は、逆にApemanの攻撃自体は有効であることを認めてるように見える。
  • on performativity - おおやにき

    さらにApemanさんから反応があったことをコメントでお知らせいただいたのであるが、全体的な感想としてはElleさんと同じく反論・批判になっているのかどうかという点で首をかしげざるを得ない、という感じ。というか、Apeman氏は冒頭から「ああ、根的に感覚が違うんだな」ともお書きなのであるが、私としてはそれ以上に達成目標も主語も違うのではないかという気がする。 第一に達成目標の点であるが、私の議論について氏は「具体的な事情を一切捨象した水準で考えれば「御説ごもっとも」である」とか「具体的事実を捨象した「正論」」とかお書きであり、つまり結果が気に入らないからといって「中立」となっている機関の決定に文句を付けてはいかんという理論的主張の内容については正しいとお認めいただいているようなので私としてはじゃあそれでいいじゃねえかという話である。 もちろん氏としては「そのごもっともな正論が具体的な文脈

    mstil
    mstil 2007/10/14
    法理論が現実の場でどう機能するか批判的にチェックされるのは当然。立ち位置や学問的立場を盾にして相手の論点に答えないのは単なる逃げ。>出て行けとは言ってません。「読者の受容」ですよ。↑id:mahal氏。
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