1月11 魏志倭人伝を素直に読むと、邪馬台国はここになります。 魏志倭人伝では、距離を表す単位に「里」が使われています。この里の単位に関しても、魏でつかわれていた里であるから魏尺を用いて、1里=約400mであるとして説明する人もいれば、100m以下の短里と言うものがあり、それを使っていると言う人もいます。両方が使われているのだとする人もいますが、それでは話になりません。いずれにせよ、実際に記録されているのですから、その数値を見てみたいと思います。 出発点とされる帯方郡ですが、これも、いくつかの説があり未だ特定されていません。楽浪郡が楽浪土城という遺跡ならびに地名を残すのに対して、ピョンヤンの南、サリウォン市だという説もあれば、チャンヨン市だという説もある。また、ソウル市だという説もある。一方、狗奴韓国はプサンの近くだということは定説となっています。ちなみに、ソウルの西インチョンから、プサン
5月2 天孫降臨はなぜ、日向の高千穂だったのか 記紀の神話によりますと、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降る」という記述が出てきます。天孫降臨と言われるお話で、ここから日本の統治がはじまります。 この言葉の中にある筑紫は間違いなく今の九州ですが、日向については日向国ではないという説もあります。あくまで、「ひむか」は、太陽に向かう地であるというのです。高千穂についても、高千穂とは高い山を意味するとのことで、現存する地名の場所とは違うという人もたくさんいらっしゃいます。また、現存する地名であっても、高千穂は、宮崎県の高千穂であるという説と、九州南部の霧島連峰のひとつの高千穂峰だという説があります。高千穂峰の方は、坂本龍馬が新婚旅行に出かけた地として有名になりました。しかし、現存する地名や史跡を追っていくと、まさしく、日向国の
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