湯澤規子“『胃袋の近代 —— 食と人びとの日常史』の刊行によせて” なぜ、「人々」ではなく、「人びと」なんですか? その日初めて私の研究室を訪ねてきた学生は、できたばかりの本の表紙を見てそう言った。正鵠を射る、とはこのことである。 私は今から約100年前、「近代」とよばれる時代の都市の街路や市場(いちば)の雑踏、田んぼの畦道や大根畑の脇道を歩き、新しく登場した織物工場や寄宿舎にもぐり込み、そこを行き交う人びとの声や足音、工場の喧騒に耳をすませ、絶えず鼻をつく食べものや汗や土のにおいをかぎ、時に彼らと寝食を共にした。と書くと、大げさに聞こえるかもしれない。また、学術研究をする身としては、あまりにも客観性に欠けると批判されるかもしれない。 しかし、膨大な史料に埋もれながらその解読に没頭する過程で、また、フィールドを歩き、喜怒哀楽に彩られた多くの人の昔語りに耳を傾ける中で、私は「確かに今、100