2012年4月13日のブックマーク (3件)

  • 普遍についてのある種の錯誤・メモ - 柳田威生blog

    数秘術まがいの文芸評論は、小説をなにか「普遍」という氷山の、海面につきでた一角のように思っているのではないか。 そもそも「影響を受ける」というのは、先行するクリエイター(この語は皮肉である)の要素を、馬鹿正直に引き継ぐことであるのか。 数秘術まがいの文芸評論の書き手、読み手は、感動してしまった自分を韜晦したいだけなのではないか。そのために数秘術まがいのことに走るのは、じつはいたって幼稚なことなのだが…。 ある種の健全さからの逃避が、「文化」を構築している。文化外の人間からみたら、その「数秘術」は笑うべき茶番である。 なぜ素直に「感動した」と言わずに、「この対象には受け手を感動させる特質が備わっている」などと言いたがるのか。

    普遍についてのある種の錯誤・メモ - 柳田威生blog
    muimimuimi
    muimimuimi 2012/04/13
    "なぜ素直に「感動した」と言わずに、「この対象には受け手を感動させる特質が備わっている」などと言いたがるのか"
  • 普遍についてのある種の錯誤 - 柳田威生blog

    DVDで繰り返し見ていたら、だんだん『インセプション』が好きになってきた。 劇場で観たときの理解には、間違いもあったようで、この作品はやはり、最初は日語吹き替えで見たほうがいいのではないかと思った。DVDには、ポルトガル語吹き替えの音声も収録されており、BGVとしてこのバージョンを楽しんでいる。 この映画の前提として、夢のことを、自由に創造を満喫できる空間として扱っていて、これは日人にはすこしなじみの薄い感覚なのではないかな、と思った。 日人は、夢を、与えられるもの、別世界への入り口と解釈することが多いのではないか。夢を、自分が日常叶えられないことの埋め合わせとして創造作業を行う空間だとは、日人はあまり考えないような気がするのである。 天地創造の神話が、ユダヤ教・キリスト教と記紀神話でまるで違うのをみても、そう思う。日神話の神々が、「光あれ」などというのは考えられない。アマテラス

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  • 数秘術まがいの文芸評論 - 柳田威生blog

    小谷野さんのブログで、こんどはじめて米光一成や川田宇一郎の名前を知った。 小谷野さんの短評をみると、どうも数字の辻褄あわせという名の知的操作に著者が没頭した「謎」であるらしい。 私はこの手の書き物にかなり強い嫌悪感を持っていて、これはもしかしたら精神分析にたいして小谷野さんが感じる嫌悪感に近しいものなのではないかと思っている。 たしかに精神分析も、ホビーとして楽しむには十分面白いけれども、その理論を応用して文芸作品を解いても、――とくに、作品の秘密を精神分析で暴けるかのように文芸作品に対するのは、愚の骨頂だと思う。 岸田秀もデビューのころは、得々として太宰や宮沢賢治や三島などの作品から著者の精神分析を披露していたが、なにか感じるところがあったらしく、早々とそういうことはやめている。 自分の感じる心を開放することを恐れる、ある種の現代的心性が、人をこの種の文芸評論に走らせると思うのである。

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