小谷野さんがブログで、教育学にたいする憎まれ口のようなものを書いているのをみて、ふと1980年代の橋本治が似たようなことを書いていたのを思い出した(といってもそれを私が読んだのは1990年代後半のころのことだが)。出典は思い出せないが、たぶん、『蓮と刀』か、あるいはその前後の時期のものである。 さすがに橋本は、小谷野さんのように子供の出来が悪いのは遺伝のせいとか、そういうことはいわなかったような気がするが、偽善と教育、というテーマはちょっと面白いような気がするのである。 自分が責任をもつべき人間にたいして、どこまで裏側を教えるべきかというのは、人が常に悩むテーマであろう。悪用されたらというのはともかく、ショックを受けて、動けなくなってしまったら役にたたない(自分の責任問題になる)からである。 私は今映画『プロメテウス』に魅了されている。フィルム版、デジタル2D版、デジタル3D版、それぞれを