4.転向前の1年間の模索 前述のように、『愛国の作法』(2006年10月刊)を私は姜の転向宣言書だと捉えており、姜の転向は、2006年夏前後に姜が何らかの決断を行ったことにより、成立したものだと考えている。 だが、転向は、何らの準備過程もなしに生じるものではあるまい。そして、姜の転向も、2006年夏より前の約1年間における模索の挫折によって、または帰結として生じたものだと思う。 この1年間の姜の言動は、それまでの姜のイメージ――在日朝鮮人の左派の代表者、日朝交渉における平和的アプローチの提唱者、日本の「国体」ナショナリズムへの批判者、日本のポストコロニアリズムの中心的人物――とはかなり異質な、「国益」論的な立場からのものである(注10)。私はこれを、日本の言論状況に即応しようとした姜の立場修正だと見る。他方で姜は、この時期、状況が絶望的であることも告白している。 そして、そうした状況認識こ