証言・大森捕虜収容所: 06年夏・平和島から/1 作家・小関智弘さん /東京 ◇“大豆コーヒー”の記憶 ◇いたわり打ち砕くムチ 大田区の平和島競艇場は開催日、モーターボートが水面を水しぶきを上げながら滑走する。3万2000人収容の観客スタンドが巨大な軍艦のように横たわる。 レジャーランドとして名高い東京湾岸の平和島は太平洋戦争当時、名もない人工島だった。 □ □ 「大森収容所はあのスタンド付近に……」。作家の小関智弘さん(73)=同区山王3=が指さした。代表作に『大森界隈(かいわい)職人往来』がある小関さんは大田区で育った。「作業に出てきた捕虜のことをよく覚えています」 1944年、小関さんは国民学校(現小学校)6年だった。 そこには関東甲信越を管轄する連合軍捕虜収容所の本部があった。正しくは「東京俘虜(ふりょ)収容所本所」という。京浜運河開削に伴う土砂を埋め立てた人工島に43年7月開