それを個性と呼んでも構わない、と個人的には思う。 ・それを個性とはよばない - 北烏山だより 文字は読めるのにその意味をまったく解さず、人と話せて単語の意味も分かるのに文脈が読めない。社会生活が成り立たず、ひとりの世界に生き、そんな生活を誰かが支える。支えを失ったときからゆるゆると死んでいく。ぼくはこれも個性的な生であり、個性的な死だと思う。だから、「このはしわたるべからず」と書かれた橋の真ん中を堂々と渡る一休さんの挿話を聞いて、桔梗屋は「この端わたるべからず」という意味の立札を立てたのだと「理解」する我が子を見て、うちの子は個性的なのだと喜ぶ親がいても別に構わない。ただ、そのまま育った子は苦労するかもしれないとは思う。 個性を「長所」の意味で使わない限り「できないのも個性」といういい方は可能だ。ただ、我が子が「正しく文意を読み取れない」ことを個性だと主張する親の真意がどこにあるのかは気に