多摩田園都市のシンボル的存在、ほんの10年ほどの間に、「新興住宅地」から「高級住宅地」にまでステイタスを高めた、東急田園都市線沿線。マスコミをして「新・山の手」と呼ばせ、新しい文化圏の誕生を宣言させた街。「多摩田園都市」として総称される沿線一帯の中でも、イメージの高さを代表するのが、鷺沼、たまプラーザ駅一帯と、青葉台駅周辺である。これらの地区は沿線全体のシンボル的存在として、DINKSやニューリッチ層の憧れをかきたてる。 多摩田園都市の構想が明らかにされたのは、1953年のことである。手つかずの雑木林と田畑が広がる多摩丘陵の一画、小田急線と東横線にはさまれた一帯に良好な住宅地を建設する、というのがその骨子であった。現在、40万人を超す人口を持つこの地区の当時の人口は、1万数千人。先の長い、遠大な計画だった。 東急電鉄が開拓した街 そしてこの計画は、もう1つ極めてユニークな点を持ってい