阪神は特急用の新性能車第一陣3011系(第3回掲載)に続いて、急行用の3300系を昭和33年にデビューさせているが、これら優等車両群とは全く違ったコンセプトで、別種の新車を企画していた。駅間距離が極めて短い阪神では、停車回数の多い各停に時間がかかり過ぎ、急行以上の列車の足を引っ張る。高加減速でこれを逃げ切ろうというのが「ジェットカー」構想だった。 構想は昭和31年ごろから発表されていたが、慎重に2度にわたる試験を重ねた結果、量産車が登場するのは昭和34年。似たような構想の近鉄ラビットカーに先を越されたが、高加減速は一段とシャープで、通勤車には贅沢品だった空気バネ台車も効果的だった。 量産車は、両運型(両端に運転台)5101型が10輌、片運型(一端のみに運転台)5201型が20輌という陣容。車体の上半分がクリーム、下半分がブルーに塗られ、「ジェットブルー」と愛称された。 ただ、5201型の最