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ZARDと音楽に関するmusicdaisuki1990のブックマーク (10)

  • 長戸大幸 音源

    OOMは 望月さんの力強いヴォーカルを 打ち出すべく リスペクトしていた 米国のラモーンズ(Ramones)等 パンク系のサウンドに傾倒していきまし た。 大賀さんの作曲は あえて音域も広くない メロディラインにする事で 彼女のパワーを最大限に活かしました。 CDデビューは 2005年11月の1stミ ニアルバム「REVOLVER」 ですが それ以前から オリジナル作品 カバー曲を交えたライヴを重ねて 楽曲披露してリリースまでに 改良していくという 正にバンドらしい柔軟な 制作方針を貫きました。 長戸大幸 (9) 終わり 長戸大幸 (10) へ 大楠さんも 同様に結成までに ZARD 愛内里菜さん 三枝夕夏IN db を始め様々な アーティストのライヴやレコーディングに参加 また hillsパン工場の初期に開催されていた THURSDAY LIVE(洋楽カバー中心) に多数出演する等 様々

    長戸大幸 音源
  • 伝説のプロデューサー・長戸大幸さん独占インタビュー : ニュースリリース : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • 長戸大幸 ④ プロデュース - 長戸大幸 音源

    また麻井寛史さん(Ba.)と 共に愛内里菜さんの ライヴサポートには 初期の段階から参加していました。 その麻井さんは、愛内さんデビューの 前年に開催され たZARDの 船上ライヴにも21歳で出演する等 経験を積んできました。 レコーディング等のエンジニア 岡田達也さんは亀井さん 麻井さんと 共に音楽制作 をしてきました。 the★tambourinesは スウェディッシュサウンド (90年代半ばにスウェーデンのトーレ・ヨハンソンがプロデュースしたThe Cardigansが元祖) に傾倒したサウンド作りをしました。 松永さんがリスペクトしており 実際に声や雰囲気を活かしやすいジャンルでもありました。 特に最新作の『switch』は 多数のライヴ活動や作品作りを してきた彼らの作品力 サウンド、ジャケット等 音楽の魅力の集大成になっています。 長戸大幸 ④ 終わり 長戸大幸 ⑤へ

    長戸大幸 ④ プロデュース - 長戸大幸 音源
  • 長戸大幸 音楽 1993 C - 長戸大幸 Wiki*

    3月号でもご紹介しましたように、「負けないで」を2月5日にテレビ朝日系音楽番組[ミュージックステーション]で披露したのを最後に、ZARDは音楽番組に出演して歌うのを止めました。そして坂井泉水さんが望んだように、長戸大幸プロデューサーの下、坂井さんは今まで以上に音楽制作に邁進していきました。スタッフとデモを選び、アレンジを進め、歌詞を書いて、歌を歌い、ミックスをしていく、という音楽制作を堪能していた、という表現が相応しいかもしれません。「負けないで」に関してはこの連載コーナーの第4回目で既に取り上げていますように、坂井さんは何度も歌詞を書き直してレコーディングをしており、その手書きの歌詞はZARDを特集したテレビ番組やZARD展等でも展示していたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。

    長戸大幸 音楽 1993 C - 長戸大幸 Wiki*
  • 長戸大幸 音楽 1993 A - 長戸大幸 Wiki*

    1992年8月にリリースされたZARDの4thシングル「眠れない夜を抱いて」はオリコン初登場18位にチャート・イン、そして1ヶ月後の9月にリリースされた3rd アルバム『HOLD ME』は初登場2位を記録し、「眠れない夜を抱いて」はリリース後7週目には8位まで上昇、『HOLD ME』は翌93年にはミリオンを達成しました。ZARDはその93年1月27日に6thシングル「負けないで」をリリース、初登場2位にランク・インして最終的には160万枚以上売れて、自身の最大のヒット曲になりました。

    長戸大幸 音楽 1993 A - 長戸大幸 Wiki*
  • 長戸大幸 音楽 1992 1 - 長戸大幸 Wiki*

    ZARDは1991年に3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース、そのリリース数から想像出来るように、ZARDは長戸大幸プロデューサーの下、坂井泉水さんもミュージシャンもスタッフも、スタジオでの作業に相当の時間を費やし、まさに制作を中心に進んでいきました。 92年もシングル2枚、アルバム1枚と多くの作品をリリースしていますが、シングルに関しては1枚目、2枚目、3枚目のリリース間隔は各々4ヶ月強でしたが、そこから4枚目の「眠れない夜を抱いて」までは9ヶ月空いています。 もちろん、長いアーティスト活動の間にはこういう事はありますが、実はこの間に、ZARDは色々試して、方向転換していったのです。 さっそく当時を振り返ってみたいと思います。

    長戸大幸 音楽 1992 1 - 長戸大幸 Wiki*
  • 長戸大幸 1991 2 - 俺達の音楽

    90年秋、長戸大幸プロデューサーの下、ZARDプロジェクトが発足しました。 制作するにあたり、ロック、中でもUKサウンド(イギリス系のロック)をコンセプトにするように指示がありました。 グルーヴはタイトで、かつスネアが微妙に重たいタイミングを刻み、ギターは特徴的なディレイ付きのアルペジオ奏法、間奏はギターでは無くサックスにするというスタイルで、レコーディングされたのがデビュー曲[Good-bye My Loneliness]。 長戸大幸 ZARDという名前は語感がロックっぽいという事で長戸プロデューサーが命名しましたが、その理由としては、ZARDという言葉は「Hazard(危険、障害物)」「Blizzard(吹雪)」「Lizard(トカゲ)」等、どちらかというと忌み嫌われるようなマイナスイメージを想起させるという物でした。 プロデューサー語録に“アーティストがデビューするのに大事なのは、名

    長戸大幸 1991 2 - 俺達の音楽
  • 長戸大幸 Wiki*

    長戸大幸プロデューサーは様々なアーティストをプロデュースしてきました。特にミュージシャンに対して、バンド形体で音楽的なチャレンジをする機会を与えていく方法は画期的でした。 ビーイングからは1980年にマライア(MARIAH)がデビュー、メンバーには笹路正徳さん(Key.)、清水靖晃さん(Sax.)、土方隆行さん(Gt.)、渡辺モリオさん(Ba.)、山木秀夫さん(Dr.)、村川ジミー聡さん(Vo.)等、音楽史に爪痕を残し、今も各方面で活躍されている方々が在籍していました。プログレッシブ・ロック色の強かったマライアは自らのアルバムだけでなく、土方さんの『Smash The Grass』(フュージョン系)を始めとする数々のメンバー・ソロ名義の作品や、笹路さんがアレンジしたジャズ系の秋奈緒美さんや作詞家の亜蘭知子さんの作品も含め、オールジャンルにおいて全てクオリティーが高く、アイドル全盛の80年

    長戸大幸 Wiki*
  • 長戸大幸は数多くのアーティストをプロデュース - 長戸大幸 イズム’s blog

    長戸大幸プロデューサーが1978年に立ち上げた「ビーイング」。今はレコード会社として流通の販売網も有するグループ会社なのだが、元々はシンプルで純粋な音楽制作集団だった。長戸大幸氏は作曲家・編曲家として第一線で活躍し、その後プロデューサーとして、B’z、TUBE、BOOWY、LOUDNESS、B.B.クィーンズ、Mi-Ke、ZARD、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、DEEN、FIELD OF VIEW、小松未歩、倉木麻衣、GARNET CROW、愛内里菜など、数多くのアーティストをプロデュースし、デビューさせている。 またギタリストに関しても、布袋寅泰(ex. BOOWY)、高崎晃(LOUDESS)、北島健二、土方隆行、松孝弘(B’z)、松川ラン敏也、増崎孝司(DIMENSION)、春畑道哉(TUBE)、五味孝氏(ex. T-BOLAN)、柴崎浩(ex. WANDS)、大賀好修(Se

    長戸大幸は数多くのアーティストをプロデュース - 長戸大幸 イズム’s blog
  • 長戸大幸プロデューサー論

    前回のブログで、さらっと書いたのが[TUBEは最初の4年間は冬にも活動していた]というもの。 85年に結成してから88年まで、年に2枚アルバムを出して、ツアーもやっていたのだ。 それが、90年からはリリースしてライヴ、という図式が定着していった。 シングル「あ~夏休み」のヒットしたのも、この年。 この、「旬の時に出し続ける」というのは、長戸大幸氏のやり方のような気がする。 年に2枚のアルバムとシングル、またライヴも季節問わず数多くやり、渚のオールスターズにも参加、前田亘輝氏、春畑道哉氏は、ソロアルバムも出し続けていた。 同じ長戸大幸氏の手掛けたB'zは、90年にブレイクしたのだが、この年はフルアルバム2枚、miniアルバム1枚、シングル5枚!! TUBE、そしてB'z。 いずれも長戸大幸氏の指導のもと、この膨大な制作をやれたから、生き抜けたんだろう。 TUBEは、夏バンドとして、もう長い事

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