新潮社は13日、村上春樹さんのベストセラー小説「1Q84」BOOK3(第3巻、16日発売)を10万部増刷すると発表した。初版50万部の発売を前に2度目の増刷で、累計70万部となった。3巻合計の累計部数は314万部。 新潮社広報宣伝部は「発売を目前にした報道が続いていることで予約注文が急増し、市場の期待感が高まっていると判断した」と話す。 ネット通販大手のアマゾンには、すでに約2万5千冊の予約が寄せられている。昨年発売の1、2巻の予約数は合計で約2万冊だったという。
A | 次のような四部構成です。 T 「対論」・・・巻のねらいをめぐる編集委員同士の対談 U 「考察」・・・テーマごとの理論的な考察 V 「問題状況」・・・個別的なケーススタディ W 「構想」・・・現状分析をふまえた今後の展望 日本の社会は近年の格差と貧困の拡大に敏感に反応しています。規制緩和など新自由主義の思想に沿った自由の解釈は、相互の自由を可能にしてきたのではなく、自由のかたよったあり方を産み出してきたのではないか。自己責任や自立を過度に強調する自由の主張は、社会の問題を個人の問題として受けとめさせることにより、一人ひとりの生に重すぎる負荷をかけてきたのではないか。 ― 。こうした反問は、いまや多くの人々に共有されつつあると思われます。 本シリーズは、自由をキー・コンセプトとして現代社会の問題状況を具体的に明らかにするとともに、私たちが自由を相互に享受することを可能にする規範や制度
サントリーホール:14時〜 シューベルト:交響曲第7番ロ短調D.759《未完成》 ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 日本フィルハーモニー交響楽団(管弦楽) ハルトムート・ヘンヒェン(指揮) 以前、紀尾井シンフォニエッタを指揮して構造的だが音色の濁った《ハフナー》を聴かせたヘンヒェンが、日本フィルに客演して未完成交響楽2題を振った。オーケストラにしっかりかっちり着実に弾かせる一方、音色には全然意を払わないスタイルで、楽想が変わろうが何がどうなろうが場の空気が全然変わらない。楽理的には正しいんだろうけど……という感じ。オーボエ・ソロをはじめ木管群も全然ニュアンスを付与してくれません。音量のレンジも狭くて、ピアノ以下がなかったような気がしないでもない。一本調子とはこの演奏のことを言うんじゃないでしょうか。堅牢な演奏ではありましたが、私はちょっと飽きました。申し訳ない。とはいえ、ヘンヒェンが指揮棒
[rakuten:book:12084955:detail]asin:4829176466 片桐芸術高等学校の敷地内に設けられたアトリエで暮らしていた希代の芸術家・赤石沢宗隆(故人)。彼の弟子たちは「赤石沢教室」と呼ばれており、その最後の4名は現在、片桐芸術高等学校の3年生となっていた。学園理事長の孫である片桐あゆみは、2年前に亡くなった大好きだった兄の後を追いこの学校に入学するが、「赤石沢教室」の4名との会話の内に、彼らが兄の死に関わっていたことを知る。 おサイコな展開を辿る、女子学生主体の学園ミステリである。主人公の基本造形は《元気な女の子》なのだが、《僕》が《君》に語りかける、一人称だが二人称っぽい叙述形式を採用しており、その不安定さが感興を盛り上げている。また、《僕》が自らを語るパートもあるのだが、その内容がなかなかにトチ狂っており、かなり不穏な空気が流れるのも良い。精神的に安定し
若い女が部屋で男とすごしている――というシチュエーションを中心にした話が、三つならんでいる。動物をある種の象徴として扱っていること、暴力性や悪意をテーマにしていることで、三篇は共通している。 このうち「猫と君のとなり」は、あのハッピー・エンドが自分には甘すぎた。自分としては、逆に一番苦い内容である「クロコダイルの午睡」が、最も面白かった。 「クロコダイルの午睡」 恋人ではないが部屋に来てメシだけ食っていく男に対し、心を揺らすヒロイン。これまでなら選ばなかった〔胸元がVの形に開いた黒いニット〕を着て、〔急に男性の視線をひどく意識したような女〕になった気分でどきどきしていると、彼はあっさり言ってくれるのだ。 「霧島さん、また、似たような黒いセーター着て」 この場面など、女と男のすれ違いぶりをうまくとらえている。 そのあげく、相手に発作的に復讐してしまう展開、いったん理解しあったかにみえて、やっ
書名の『すばらしき愚民社会』は、むろん、オルダス・ハックスレーの逆ユートピア小説『すばらしき新世界』から取られている。『すばらしき新世界』という題名は、むろん、シェイクスピアの『嵐』の中のミランダの科白から取られている。これぐらいのことは、知識人なら一般教養としてむろん知っていなければならないし、東京大学など一流大学の英文科の学生なら、自分の専攻分野のことだから、むろん知っているはずである。 ところが、これぐらいのことさえ誰も知らないんだよなぁ、という著者小谷野敦の嘆きの声が聞こえてきそうだ。自ら東大英米文学科を卒業し、東大他の名門大学で学生を教えている小谷野は、大学がレジャーランド以下になってしまった現代社会を痛烈に批判すべく、書名にもこんな仕掛けをしているのだ。 私は、高校も大学も私立しか行けない劣等生で、しかもその大学も遊び呆けて落第をくり返していたし、その上、専攻も法学部だった
夏の魔法 (ミステリ・フロンティア) 作者: 北國浩二出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 2006/10/24メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (36件) を見る 早坂夏希は中学二年の一学期まで、南の島・風島に住んでいた。彼女はそこで同級生の塩崎洋人と初恋に落ちる。その後夏希は本土に引っ越すが、しばらく若い恋人は連絡を取り合っていた。しかし突如彼女を病魔が襲う。早老症に醜く老いさらばえてゆく自らの身体を恥じ、夏希は洋人に病気のことを一切知らせず、連絡を絶った……。そして9年後。22歳となった夏希は癌に侵され、余命はもはや1年もない。だが今ならまだ一人旅ができる。そこで彼女は、生涯最後の夏を静かに過ごすべく、見た目どおりの老観光客として名を偽り、風島に赴く。だが、夏希は島で、逞しく聡明な好青年に成長した洋人と再会してしまった。洋人は、
うちの大学では年明け早々が卒論提出〆切であるので、例年この時期は添削に追われるわけですが、今年はいつもより相当多く赤を入れておりまする。 毎年、ネタはなかなか見るべきものがあるのですよ。 20人中5人前後は、ちゃんとした文章に直せれば、学会発表か、場合によっては学会誌に投稿できるようなものがある。 ただ、その前提条件=「ちゃんとした文章に直せれば」がものすごく大きなネックなのだ。 ちゃんとした文章になっていないものが多すぎるのですよ。 たとえば、一次草稿の場合、これくらい赤を入れなきゃならない。 二次草稿だと、ちょっとマシ(になってるかね、ホントに?) これまでは半ばあきらめて、添削は最低限にしてました。 だって、添削してるうちに、自分の論文の1本や2本書けるもの。 しかし、やっぱりネタとしてあまりに惜しいのだ。 そういうわけで、今年はゼミの卒業論文集を自費出版することにしました。 印刷に
http://cruel.org/other/rumors.htmlより。 ぼくも、読み始めは同じく「おおすげえ!」と喜んでいたけれど、でも最終的な評価はそれじゃ足りないのだ。「マオ」はいろんな資料をあたってよく調べてあるのは事実だが、問題はそれをもとに何を言っているか、ではないか。それをきちんと広い視点からフェアに評価できるのが、エスタブリッシュメントとしての正統文化であるはずなのに、それをやってくれそうな人もメディアもまったく思いつかない。なんでおれみたいな腰掛けサブカルの端っこの人間が、正統エスタブリッシュメント文化の仕事をかわってやらにゃいかんのだとは思うが、これからぼくが CUT とかで書く書評以上のものがどっかに出てきたら驚く。 僕の立場からはさすがに「そうそうその通り」ともいえないのだが、山形さんの苛立ちには確かに共感できる点もある。例えば英語圏では、必ずしも専門学術誌ではな
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