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ブックマーク / slib.net (2)

  • 右利き主流の起源について

    フランシス・ローレライ 左利きは、全人口の約10%にしか満たず、大多数の人間が右利きと見られる。また右利きのうち、95%が言語活動の際、主として左脳半球の言語野を使うらしいが、左脳を重点的に使用する点で右利きの性癖と整合する。 この様な右利きと左言語野との組み合わせは、太古の時代、火が使われる様になると共に一般的となり、そのまま現代人に引き継がれているのではなかろうか。 1.直立歩行と心臓の位置 人類史をたどれば、人間の祖先はアフリカ大陸を故郷とし、悪天候や外敵から身を守るため、暫く森林で生活していたが、大陸の東側を南北に走る「大地溝帯」に出てから料を求め、直立歩行する様になったと言われる。 その結果、心臓の位置に関し、身体の中央寄り、そして(左右の心房を含む)上部が道の側を向き、(血液を動脈に送り出す左右の心室を含む)先端部分が、左向きかつ身体の前方(外側)を向く様になった。 ついて

    myogab
    myogab 2021/06/02
    心臓ったってほぼ体の中心だろ。コリオリとでも言った方がまだねえ。理屈と軟膏はどこにでも~。アタマイイ方が自説に合う理屈を多く集める故に~みたいな。
  • 信仰においては疑問や迷いといった心理的な葛藤が生じなければ信仰とは呼べない。狂信である。信仰の仕方に100%自信が持てるのであれば、神はもはや存在ではなく、道具と化すのである。

    sacchan_orpheus 「信仰」という言葉の来の意味は、ギリシャ語でpistis、つまり「信頼」である。目には見えない神への信頼こそ信仰の根幹を為すと言っても過言ではない。稿では、主に新約聖書を取り上げてキリスト教における信仰とは如何なるものであるのかを考察したいと思う。 信仰においては疑問や迷いといった心理的な葛藤が生じる。そうでなければ信仰とは呼べない。狂信である。自分の信仰の仕方に100%自信が持てるのであれば、神はもはや存在ではなく、道具と化すのである。新約聖書ルカによる福音書18章9節からではファリサイ派と徴税人の喩え話が取り上げられている。自らの品行に絶対的な自信を持つファリサイ派と胸を打ちながら神の憐れみを乞う徴税人の姿が対比されているが、ここに信仰と狂信の違いが見える。 「狂信」を意味するラテン語のfanaticusは、fanum(神殿)に凝り固まっている状態を

    信仰においては疑問や迷いといった心理的な葛藤が生じなければ信仰とは呼べない。狂信である。信仰の仕方に100%自信が持てるのであれば、神はもはや存在ではなく、道具と化すのである。
    myogab
    myogab 2019/07/28
    イエスの行幸録には新興勢力を利用し棄民を持ち上げて既得権打破へと繋げる詭弁の宝庫だよね。…とも見立てられる。幕末維新の流言飛語や現清和政権との共通戦略も見て取れる。
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