最初音楽で例を挙げたように、図書館のメインコンテンツである本でこれをやると分かりにくい。なぜかというと、本というのは著作〜体現形までが混然一体となって人に認識されるからです。音楽は物体でないから、体を持っている時と持っていない時の区別がつきやすいですが、本は最初から物体ですからして。源氏物語みたいな著名な古典は、体でなくそういう概念が頭の中にぼんやりあるからFRBRで語ることが可能だけども、一般の本はそうでない。著作=表現形=体現形なのです。だいたい古典でないと例を満足に挙げられない時点で、このモデルがいかに歪んでいるか分かろうというもの。こういうのは学者が理論で弄ぶべき類の概念であって、一般人には混乱の元です。じゃなきゃただの頭の体操。 図書館断想 実際そのとおりで、FRBRのモデルはふつうの図書館ではおおげさすぎて、一般の利用者が使う限りでは、ManifestationとItemにあた