![高齢男性、電車で泣く赤ちゃんにブチギレ 親に「人間失格」と大暴れ、制止されるも「甘やかすから日本が駄目になる」...緊迫の一部始終(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/64d75113db06e5fc199c90772231a733c5a8853b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnewsatcl-pctr.c.yimg.jp%2Ft%2Famd-img%2F20231108-00000007-jct-000-8-view.jpg%3Fexp%3D10800)
正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。 大方の意見はネット民と同じだと思っていい。 しかし提言するべきことがある。 重要なのは、マナー講師を何故胡散臭いと感じるかだ。 理由は簡単。マナー講師の奨めるマナーというものが一般的ではないように感じるため。 つまり恣意的なんだよ。 マナー講師が独自のマナーを作ってそれを流布しようとしている。 けどそれって、あなたのルールですよね?というわけだ。 だが少し待ってほしい。 恣意的なものというのは果たしてマナー講師のマナーだけだろうか? 本題に入ろう。 ここからは言語の話だ。 日本人であれば当然「てにをは」のことは知っているだろう。 掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。 例えば、次のような文章があるとしよう。 1.私は増田が好きである。 2.私は増田は好きである。 一般的に正しいのは1。 では2はどうだろうか?
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