よしをです。 加藤清正は、毒殺されたという説があります。 1611年に、二条城でおこなわれた、 徳川家康と豊臣秀頼との会見の3か月後、 会見に同席した加藤清正は、 領国の熊本に帰る船内で急遽体調を崩し、熊本で死去しました。 働き盛りの49歳でした。 家康は秀頼との会見の場で、秀頼の毒殺を図って、 毒の入った饅頭をすすめますが、それを察知した清正が、 自らその毒饅頭を食して、秀頼の身代わりになったというのです。 遅効性の毒だったために、3か月経ってから、体に毒が回り、 清正は倒れたというのですが…。 加藤清正は、民衆に人気があり、落語にも度々登場します。 加藤清正を敬愛する、「清正公酒屋」の息子の清七は、 饅頭屋「虎屋」の娘といい仲になります。 清正公酒屋と虎屋には、古くからの因縁があり、 清七の父親は、娘と別れるようにと、清七を説得しますが、 清七は勘当されても別れないといいます。 困った