今日某塾アルバイトの面接に行ってきた。 面接官は、黒斑メガネの若いお兄ちゃんだった。 温厚な人だなあ、と思って、自分の考え言ったら、とりあえずボロクソ言われた。 めちゃくちゃ怒られた。説教された。 もちろん自分の教育に対する態度もだけど、何よりも自分の人格とか、意識について。 「なんでもっと頑張らないんだ!? こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ! リーダーシップとか取ったことないの?何を一番頑張ったと言えるの?そういうもの、ないの?! なんでこんな生温い生活を送ってるんだ?!大学生なのにこんなのでいいのか?!もっと頑張らなくていいのか?!」 とりあえず、色々怒られた。私は意識が足りないと。私はもっと頑張らなきゃいけないと。 そして、何かちゃんと最後までやりきって、自分の物にしたほうがいいと。 自分のやりたいことに向かって、精一杯頑張った方がいいと。 そん
日々色々考えることがあったのでちょっとまとめることにしました. この記事に対する返事はこちらにあります。合わせてご覧いただければ幸いです。 はじめに ここで言う「理系の女の子」は理系を専攻している高校生・大学生をさします。特に国立大学の理系に通う女子大生を指します。 「普通の女の子」は短大および四年制大学の文系の女の子を指します。髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子を指します。女性誌でいうなればJJ・CanCamおよびWith・Moreと言ったところでしょうか。世間一般にもてはやされる女の子のタイプです。 以下のことについてはすべての人に当てはまるものではないし、正しいとは思いません。 私は議論が大好きなので、大いに叩いてください。全然しらないひとだからといって臆する必要はないです。 現在理系の女の子・理系の女の子だったはもちろん、男の子視点からの意見
雑 私は高校時代に自慰行為の過程で肛門を損ねて以来、断続的に痔を患っている。ちょっと前には一時回復の兆しがあったのだが、とある飲み会で食べたレバーによる食中毒によって、その希望は肛門とともにズタズタに引き裂かれてしまった。 ここ数年にわたって私を悩ませてきたのは、痔という病気に対する無理解である。ある知り合いは、痔というのは水虫と同じような、中年の暑苦しいオヤジがその暑苦しさゆえに罹ってしまう生活習慣病のようなものだと考えていた。これは肛門科に行ってみれば分かることだが、実際は若者の患者もけっこう多い。 また、症状についても「肛門が痛くなる病気でボラギノールを外にサッと塗るか中にチューっと注入すると治る」という程度の認識が一般的であろう。これは別に間違いではないのだが、実際の苦痛を考えると、全く言葉が足りないのだ。花粉症なんかよりずっと辛いんだぞ! と声を大にして言いたいのだ。 だか
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/03/11(月) 11:44:48.95 ID:jOo4xz3d0 4 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/03/11(月) 11:45:47.65 ID:eloq0yVY0 俺が下痢だった日だ 5 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/03/11(月) 11:46:28.97 ID:FuZcscEk0 俺の16の誕生日の日か 6 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/03/11(月) 11:47:01.80 ID:jOo4xz3d0 7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/03/11(月) 11:47:17.41 ID:No5OfyCP0 本当は1面カラーで新幹線載るはずだったんだろうな 9 以下、名無しにかわりましてV
2 :名も無き被検体774号+ :2013/03/08(金) 17:18:15.94 ID:4LezbyBX0 だいぶ前に、地震の時に役立つものに関するスレを立てたモロ液状化地区在住のドウテイです。 3.11が近くなってきて地震の事を思い返したりしてもう一回地震の時に何があったら便利なのか。 これがあって便利だったみたいな情報交換をできたらと思ってスレ立てしました。 俺は、断水地区だったので、断水した時に便利だった物・なくて後悔したものをもう一度伝えようと思う。 できたら、ガスが止まってしまった人・電気が止まってしまった人の意見も聞けたら嬉しいとりあえず俺から書いていく ※絶対に必要なもの ・水(最低一人6リットル×家族分)あればあるだけいい。 (一人一日2L換算。あればある方が良い。仙台在住の人で6日分は用意しといたほうが良いという意見もあり) ・カップラーメン・レトルトカレー・サトウの
※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。 大阪。1994年の春頃。俺は15歳で高校受験の年だった。 当時は、勉強しながらよくラジオを聞いていた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。 あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基本的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。 なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。 ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く