暴君と暗君は違う。暗君は国家の大事に何もせずにいて衰退もしくは滅亡を招く存在であるが、暴君は意図的か否かは別として政治に積極的に介入することで国の衰退や滅亡を招く。 前者の代表は宋の徽宗や明の天啓帝で、後者の代表は隋の煬帝や秦の始皇帝であろう。 しかしいかなる暴君や暗君が現れようとも、中国は一定の文化や社会を守り続けた。途中何度も漢民族以外の民族が為政者となったが、それでも中華帝国としての威容は保てていた訳である。 秦が滅びれば漢が出来た、隋が滅びれば唐が出来た。 始皇帝が皇帝を名乗ってから2000年以上が経ち、中華帝国はついに滅びようとしていた。 果たして中華帝国を滅ぼしたのは誰であろうか? 西太后、感豊帝の妃となる 西太后とは日本でよく使われる名称で、中国では「慈禧」と呼ばれることが多く、出自は満州族の「エホナラ部」であったと言われる。 清王朝の決まりとして、妃は女真族(満州族)から選