あと1年で30歳… アニメに思いをはせること、今敏のごとし… そろそろ至高のアニメで価値観をランクアップしたい年頃なんです。 あなたの人生を変えたアニメを教えてください。 ☆私が観たもの☆ ガンダム1st映画版 逆襲のシャア 銀英伝本伝 パプリカ、妄想代理人、東京ゴッドファーザー 細田監督作品 いあー!あなたの人生を変えたアニメ、教えてください。
英会話を勉強して3年くらいになって旅行と日常会話なら支障がないレベルになったのだけど、完了形(have+過去分詞)の使い所が今ひとつ理解できないでいた。 どこそこにいったことある?(have you ever been to)とかなら定型で使えるんだけど、それ以外ともなるととっさにはなかなか出せないでいたのだ。 それが、とあるところでアメリカ人には肩こりという概念がないという話を聞いて、妙に納得できるようになった。 というより、日本語に住み始めたアメリカ人は肩こりになるという話といったほうがいいかもしれない。 それを説明するために、もう一度英語の話に戻りたい。 わたしには完了形以外にも概念が把握しづらい言葉があった。 例えば、makeの使い方なんかがそうだ。 make sureは今でこそ確認するという意味で理解できるが、この単語が二つならんだだけでは今ひとつ意味が理解できない。 それ以外に
会社のおっさんがとにかく挨拶を返さない。 こちらも決して元気よく感じよくってわけでもないけど、まあ普通の挨拶。 特に同じ部署のおっさんに関して言えば出勤時に全員に向けて言う「おはようございます」にも、 廊下ですれ違うときの「お疲れ様です」にも無言。無視。 特定の誰かにだけ返さないというわけではなくいつでもそうみたいだから、 もしかしたらもう挨拶自体ができない人種なのかもしれない。 (特定の誰かにだけ返さないっていうのもそれはそれで質悪いけど) うぃーすでもちぃーすでもナマステでもいいからなんか返せよ。 気分悪いからもう挨拶しなくてもいいかなと思ってる。 幼稚園児にもできる挨拶がなぜおっさんになるとできないのか。 ●追記 ありがとうございます。 今までかなりもやもやしていたものの誰かにグチるほどの内容でもないかと思って 自分の中に留まっていた話ですが、頂いた反応を見たらやれやれ挨拶してやるか
こんにちは、株式会社GunosyにてCTOをしております松本です。 弊社にもこの4月から初めての正式な新卒採用で3名の方が入社しました。 実は自分も、3年ほどまえの大学4年の終わりごろにGunosyに入社しまして、そういう意味では新卒入社とも言えるのかなと思います。 社会人経験としては新卒の皆さんとそう大きく違うわけではないのであまり偉そうなことが言えるわけでもないのですが、自分が新卒の時にどんなことを聞いておきたかったかなと考えながら、主に今年新卒入社された皆さんになにかアドバイスになればと思い久々に技術の話以外でブログを書いています。 今回、3年間働く中で長くエンジニアとして必要とされるために大事だと感じたことについて書きます。 # 長くエンジニアとして活躍していくために自分がエンジニアを始めてからの数年の間にもベースになる技術は多くの進化を遂げており、1年前の状況が今では古いなどと言
事の経緯をさくっと 私には、一緒に住んでいる彼氏がいました。でも、先月、自分で自分の命を絶ってしまいました。 1か月ほど経ち、遺品整理はまだできていませんが、ようやく人様に見て頂けるくらいの言語化をできるようになりました。 一緒に住んでいるといっても、世間のイメージするいわゆる同棲という色気のある話ではありません。 彼の精神的な状態が悪化したことを危惧し、「うちにいてほしい」とお願いして、この半年程度、私の家で生活してもらったというのが事実です。 生存確認のための同居、という方が正しいと思います。 彼と私は、幼少期の孤独な自分の像を抱えたまま都会で生きる者同士、長い間、関係性にラベルをつけませんでした。 つまり、「親友」として、お互いのトラウマ、未来への希望を共有しあえる「戦友」でした。10年間の。 彼の勇気のおかげで「彼氏と彼女」というラベルを付けたのは、最後の3年間だけです。 関係性の
新井白石と「思想的名勝負」をしたシドッチの遺骨見つかる。白石のその後も含め、思いを馳せる。【記録する者たち】 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160406/p1 を書いた縁で、ネット上にあった新井白石のシドッチ尋問記「西洋紀聞」の現代語訳を読むことができた。 そして、自分にとってはなじみ深い議論に、ここでも巡り合うことができた。 少し、これをまとめて論じたい。 “西洋紀聞現代語訳 Seiyoukibun.pdf” http://htn.to/Q1xkyq 「天戒を破った罪が大きいので自ら贖うことができず、デウスがこれをあはれんで、3 千年後にイエスになって生れて、罪を贖えた」という説なんか、まるで嬰児のたわ言である。 一方で刑罰をつかさどるものが、一方であわれむべき情を発して、罪を許そうと努めている。マサンを食うなという天戒自体、そもそもデウス自身が課し
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