一行は欧州大陸の旅を続けている。現代の私たちは使節団の様子を外交史料や団員たちの日記類で知ることが可能だ。主目的の外交交渉は英国と結んだ「倫敦約定=ロンドン覚書(おぼえがき)」(文久2年5月9日=1862年6月6日=締結)などから経緯が分かるし、市川清流らは多くの記録を残している。 加えて一行を強烈に印象付けるのが、訪問先の各国で写された肖像だろう。パリのナダール(文久2年3月24日)、オランダ・ハーグのセフェリン(同6月4日)、ロシア・ペテルブルク(同8月15日)でも一行は写真館に足を運んだ。ナダールの写真館では豪華なタペストリーとシャンデリアの掛かった特別室が用意され、オルガンの生演奏を聴きながら撮影に臨んだ。 ポーズや表情も特徴的だ。佩刀(はいとう)を持った立ち姿。緊張した面持ちで寄り添う数人。椅子に腰掛けそれぞれの姿勢でカメラを見つめる顔。東洋から来た異風のサムライたちは、どの地で