https://anond.hatelabo.jp/20150903235935 元記事が(恥ずかしすぎて)まともに読めないので、整合性が取れていない部分があっても勘弁してほしい。 あれから約3年が経ち、大学2年生だった私も社会人1年生になった。 10代特有の全能感はもうなく、日々擦り切れながら生きている。 人生をかけた実験の結果はというと、仮説の通りだった。 15kg痩せ、不自然じゃない程度のプチ整形をし、メイクやファッションを研究して、なりたい自分になりきった。 出会う人みんなに綺麗だねと言われる、昔の自分からしたら夢のような外見を手に入れられた。 ちやほやされたし、「モテないこと」に対するコンプレックスもほぼなくなった。 でも、心は空っぽだった。表面を押し出したら表面しか見てもらえない。 浅いところでつながっている人間関係なんてもろい。当たり前だ。 「モテ」に関しても、若い女がそこそ
嫁がお風呂に入っている隙にトイレでオナニーをしている最中、スマホの電源が切れた。 もう止められないスピードだったので、久しぶりにイマジネーション全開で理想の女性を脳内で作り上げる。 時間が無い。 幼なじみ 夏祭り 浴衣 いいぞ。後は黒髪ショートカットの幼なじみ! デヴィ夫人 なぜ?! なぜ俺はこの状態でデヴィ夫人を思い浮かべたのだ?! 幼なじみ 夏祭り 浴衣 デヴィ夫人 あーたちょっとあれ買ってきてくださらない? あんず飴のことか?! あーたちょっとおんぶしてくださらない? 背中に胸があたる?! というものすごい中途半端な状態で終わってしまった。 そういえば、いつからか妄想だけでペニンシュラと遊ぶことは無くなった。 たまには自分の想像だけで遊ぶことも必要なのかもしれない。 あの夏の日の、あの夏祭り、俺とデヴィ夫人の後先は、きっとどこかで続いてる。
塩漬けにしておいたオリーブが半年経って食べごろになってたので開封しました
固定で繋がった友達がリバも食べられるようになってしまった。 同じカップリングに長く居ると結構ある事件である。 その時「ああ~そうか。昔から仲良くしてくれた友達だったし良い奴だと思ってたけど、これでさよならだな」と思ってしまった。 別にカップリングで他人を判断する訳ではない。でも私はそう思ってしまった。そのbioに貼ってある固定の看板を降ろせとも。 その人の事はいい人だと思っているし、きっとこれからも友人付き合いはすると思う。 けれどもう信用して作品を見せる事はできないんだなと悲しくなった。 じゃあなんでそういうふうになるかというと、自分でもよくわからない。 多分リバの人が私の作品を見て、リバにしてもおいしいと思ったりそういうのが耐えられない。そういうのあるかわからないけど。 言われなきゃわからないし、人の気持ちは止められないし否定もできない。私が固定であるのを止められないように。 そうなら
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く