それカイジ
当時の中学は部活動に参加必須だった。 その中でバレーボールを選んでしまった。 なんとなく楽そう、友達も入ると言っていたから。 これが間違いの始まりだった。 練習できるのは3年生だけだった。 1~2年は球拾い専門。 コートをぐるりと囲んで、飛んでくる球を回収するだけの雑用係。 拾うボールは飛び交っているのだが、球拾い要員の人数が多く(30人近く)、手持ち無沙汰。 明らかな過剰スペック。 ほぼ棒立ちの状態。 でもみんな練習がしたかった。 たまに飛んできたボールを、トスして回していたら「真面目にやれ!」と一喝された。 無心で数時間を過ごすのは苦痛でしかなかった。 練習の最後は決まって、アタックを拾うレシーブの練習が行われる。 球拾いが最も忙しくなる時間でもある。 「早く終わってくれ・・・・」これが1,2年の共通した願いだった。 「ラストォォォーーー!!!!!」顧問の怒号が飛ぶ。 練習の末期が近づ
はてブで久しぶりに岡田斗司夫、唐沢俊一の名前を見た。 今現在、彼らへの言説はほとんど批判一色だ。自分も批判的に見ている。 しかし、かつて彼らの言説が支持されていた時代もたしかにあったのだ。90年代後半の、ある一時期に。 けれども、彼らの本をかつて熱心に読んでいたと口にする人はいない。 スレイヤーズのリスペクトを表明する人がいないのと一緒で、彼らの本を熱心に読んでいたってことは「恥ずかしい」ことなのだと思う。 しかし、ここは匿名ダイアリーなので、自分は書いてしまおう。 あれは90年代後半だった。自分は自意識を持て余していた。 アニメや漫画といったオタクコンテンツが好きなことに後ろ暗さを感じていた。 エヴァはヒットしたけれど、それだけで、オタクたちへの一般的な視線はまだまだ一段低く見る傾向が強かった。 自分は15歳で、クラスの端っこでオタク仲間と固まって学校生活を送っていた。 初めて缶コーヒー
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